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第7話・1928年 『国際アマチュア・ハンドボール連盟結成』

スポーツイベント・ハンドボール20228月号(720日発行号)で特集の通り、日本のハンドボールは724日、「伝来100年」を迎え、新たな発展に向け力強く踏み出しました。
積み重ねられた100年はつねに激しく揺れ続け、厳しい局面にも見舞われましたが、愛好者のいつに変わらぬ情熱で乗り切り、多くの人に親しまれるスポーツとしてこの日を迎えています。
ここでは、記念すべき日からWeb版特別企画で「11年」による日本のハンドボールのその刻々の姿を連続100日間お伝えします。
テーマは直面した動きの背景を中心とし、すでに語り継がれている大会の足跡やチームの栄光ストーリーの話題は少なく限られます。あらかじめご了承ください。取材と執筆は本誌編集部。随所で編集部OBOG、常連寄稿者の協力を得る予定です。
(文中敬称略。国名、機関・組織名、チーム名、会場名などは当時)

バックナンバーはこちらから→マガジン「ハンドボール伝来100年」

8月4日、アムステルダム(オランダ)で開かれた国際陸上競技連盟(IAAF。現・ワールドアスレティクス=WA)の第8回総会は、2年前、ドイツ陸上競技連盟の要望を受けて立ち上げた「ハンドボール作業部会(委員会)」から「ドイツ・ルール(第4話参照)」を基本に国際ルールをまとめたとの報告を受け、同部会(委員会)を母体に「国際アマチュア・ハンドボール連盟(IAHF)」として設立する動議を提出、賛成多数で承認され、ハンドボールの世界組織の誕生を見た。総会には日本陸上競技連盟(日本陸連。1925年創立)の代表者も出席していた。

その日は第9回夏季オリンピック・アムステルダム大会の8日目、ハンドボールとオリンピックとの関係を一気に濃密にさせるものでもあった。

IAAFは当時、ハンドリング(ボールを手で扱う)スポーツの国際組織化に力を注ぎ、バスケットボールやバレーボールの国際連盟結成にも助力していた。IAAF独自の行動だったのか、国際オリンピック委員会(IOC)などの働きかけがあったかは詳(あき)らかではない。

IAAFの手がけていたスポーツの中に「コート・ハンドボール」という名が含まれている資料がある。「ウォール・ハンドボール」(第6話参照)なのか、それとも北ヨーロッパ各国が中心となって「室内(7人制)ハンドボール」の組織を“独立”させようとする動きがのぞいた時期があり、流れが続いていたものなのか。

結果的にはIAHF以外にハンドボールの国際連盟はこの時は生まれず、即日、アムステルダムで第1回総会が開かれ、11ヵ国が加盟申請する。ヨーロッパ9ヵ国のほかアメリカ、カナダである。本部はミュンヘン(ドイツ)に置かれた。

日本陸連は一連の決定を持ち帰り、国内体育・スポーツ関係者と協議、同連盟名でIAHFに加盟手続きした。19番目と言われる。

競技スポーツの実績がほとんどないハンドボールがスムーズに国際組織のメンバーとなったのは、学校体育として存在が知られ始め、背後で陸上競技というメジャーなスポーツ組織の力が国際的にも後押ししていたことが大きい。

日本陸連には海外スポーツ事情に通じた人材が揃い、オリンピックにチームスポーツの進出が盛んになるのを見通していたのは充分に考えられる。

IAHFは“最初の仕事”として12月にドイツ語、フランス語、英語で「ルールブック(11人制)」を発行、各国に配布した。「1928年12月版」と呼ばれる。

8回は731日公開です。

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