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忘れていた言葉

恋人・雪子との5年間の交際に終止符を打った高橋春紀。別れて約1ヶ月。
仕事中に頻繁に彼女のことを思い出すようになっていた彼は、なにか大切なことを忘れているような気がしていた。

● 春紀モノローグ
 時間というのは便利でもあり厄介だ。
 時が経てばいやなことも忘れるけれど、長い年月かけて染みついたものはなかなか離れてくれない。
 雪子のこともそうだ。

● 春紀回想
  1ヶ月前。夕方のカフェ。向かい合って座る春紀と雪子。つかれきった表情。視線は互いに合わさない。気まずい沈黙。

● 春紀モノローグ
  たしか雪子が「別れよう」と口にした。内容もだし、案外鋭かった雪子の声にびっくりして「わかった」と短く返した。たしかに、思い返せば俺らの間には、もうなんの感情もなかった。ただ、長い長い時間だけが横たわっていた。

● 春紀回想
  うつむき鼻をすする雪子。泣いている様子。
雪子「……なんで泣いてるのか、私にもわからない」
  春紀、沈黙したままうなずく。
雪子「もしかしたら、別れを切り出せたことに安心したのかも」
  春紀、少しだけムッとした表情になる。
春紀「なんだよそれ」
雪子「(くたびれた表情で)だって、どれだけ『もう私のことなんてどうでもいいんでしょう?』って聞いても、はぐらかすばかりだったじゃん」
  春紀、手元のコーヒーカップを見つめる。
雪子「もうずっと、ずっと前から、私にはもうどうしたらいいかわからなかった。どうしたら春紀がもう一度私を見てくれるのか。そもそも今後も一緒にいたいと思ってくれているのかどうかも、私自身がどうしたかったのかも」
  春紀、気まずそうな表情で沈黙をつらぬく。


昼前、オフィス。
女性社員「高橋さん。高橋さん!」
春紀「うわ! ごめん、なに……?」
女性社員「そんなにおどろかないでくださいよ。人をバケモノみたいに」
春紀「ごめんごめん、そんなつもりは……」
女性社員「領収書のここ、間違ってるんで書き直してくださいね」
 女性社員、春紀のデスクに書類を置いて去る。

● 春紀モノローグ
  別れた途端、隙をついては雪子が頭の中に出てくるようになった。最後の2年ほどは、付き合っていても仕事中に思い出すことなんてなかったのに。
  俺らだって、最初からこんなんだったわけじゃない。たのしい時期もあったんだ。
  春紀、上の空でパソコンのキーボードを叩く。


● 春紀回想
3年前、とある金曜の夜。春紀の部屋。
スマホに通知がくる。雪子からのLINE。
雪子〈春紀、明日の夜、なに食べたい?〉
春紀〈本当につくってくれるの?〉
雪子〈任せなさい!〉
春紀〈じゃあ、麻婆豆腐!〉
雪子〈了解!〉
 春紀、満足そうに微笑み、ベッドに入る。

翌日。雪子の部屋。
狭いキッチンで料理する雪子。テレビを観ながら話しかける春紀。
春紀「本当に手伝わなくていいの〜?」
雪子「えー、いいよ。仕事でつかれてるでしょ?」
 春紀、テレビをやめてキッチンへ
春紀「そんなんお互い様じゃない? 俺こっちの野菜切るわ。これなににすんの?」
雪子「(うれしそうに微笑みながら)中華スープに入れるの!」
春紀「了解!」
 春紀、まな板で野菜を切りはじめる。
 雪子、その隣で鍋の中の麻婆豆腐を気にかける。
 時々互いに見つめ合い、「えへへ」と笑う

● 春紀回想
昨年、土曜日の夜。
雪子の部屋
 雪子、キッチンで料理をしている。
 春紀、テレビに釘づけ。
雪子「(少し声を張り)ごめん春紀、ごはんできたやつからそっち、持ってって」
春紀「う〜ん」
 雪子、立とうともしない春紀を横目で確認。
 すべて自分で運んでいく。
雪子「最近手伝ってくれないね」
春紀「(数秒遅れて)え? あ、ごめんごめん」
 春紀、雪子を見ず箸を握る
 雪子、思い詰めた表情になる。
雪子「…………。春紀にとってのこの時間と、私ってなに?」
春紀「……あーもう、ごめんって〜。そんな怒んないでよ。後かたづけは俺がするから。任せて」
雪子「もう、私の…………でしょ?」
春紀「えっ? なに?」
雪子「…………なんでもない」
 ● 春紀モノローグ
   最近の雪子、こんなんばっか。一緒にいても問い詰められるばっかり。あんまたのしくないな。

雪子「じゃあ食べたあとはよろしく」
春紀「うん。じゃ、いただきます」
雪子「いただきます」
 弾まない会話。テレビの大きな音


昼のチャイム。
ハッとする春紀
春紀「もう昼かぁ〜〜〜」
 春紀、椅子の上で上半身をそらす。固まった身体をほぐしていく。
同僚「高橋! メシ行かない?」
春紀「あ〜ごめん、もうコンビニで買ってきてて」
同僚「なんだ〜。じゃあ行くわ」
 春紀、苦笑いで同僚の姿を見送る。

● 春紀モノローグ
  俺、今日雪子のことばっか思い出してるな……。

 春紀、眉間を指で押さえる。
 コンビニの弁当をレンチンし、デスクで食べはじめる。

● 春紀モノローグ
  なんか、だんだんうまくいかなくなったよな。雪子はどんどんこわくなるし。


● 春紀回想
半年前、春紀の部屋
 スマホを眺める春紀
 雑誌を読んでいる雪子
雪子「ねえねえ、今度ここ行かない?」
 雪子、読んでいた雑誌のページを指差し、春紀に話しかける。
 春紀、ちらりとだけ確認する。すぐスマホに視線を戻す。
春紀「それって鎌倉? この時期混むからいやなんだよね」
雪子「……そんなんばっかり。最近ぜんぜん外出ないじゃん」
春紀「だって、仕事でつかれてんだもん」
雪子「私だって一緒だよ」
春紀「だったらいいじゃん。わざわざ混むところに行かなくたって」
雪子「……春紀って本当にさぁ、………なの?」
 春紀、雪子の方を見る
春紀「え? なんて?」
雪子「(かなしげな表情で)もういいよ……。今日もう帰るね」
春紀「え! もう帰るの?」
 雪子、黙って部屋から出ていく。
 春紀、スマホの画面に目を落とす。
 ● なんなんだよ、あいつ


オフィス。
昼休み終了5分前のチャイムが鳴る。
デスクのゴミを片づけはじめる春紀。立ち上がると同時に、伸びをする。
春紀「……あ〜あ」
 ゴミをゴミ箱に向かって投げる。
 外れて拾いに行き、ゴミ箱に入れる。
 ● 春紀モノローグ
   ツイてないわ

 春紀、書類をさばく。判子を押したり、パソコンで確認したり。

● 春紀モノローグ
  あのとき聞き取れなかったこと……。雪子はなんて言ったんだろう?


● 春紀フラッシュバック
5年前 付き合って半年
どこかの公園
雪子「(満面の笑顔で)ねえ! 今日で付き合って半年だよ!」
春紀「え、わざわざ覚えてたの?」
雪子「さすがに半年は祝わないとと思って。実はクッキー焼いてきたんだよね」
春紀「まじで? 手づくりってこと?」
雪子「そうだよ!」
 雪子、少し照れくさそうにクッキーの袋を春紀に手渡しする。
 春紀、よろこんで受け取る
春紀「(笑顔で)ありがとう」
雪子「へへへ。ねえ、春紀。(照れた顔で)すきだよ」
春紀「俺も、すきだよ」


オフィス。デスク。
春紀「(大きい声で)えっ?」
 周囲の人の目線が一気に春紀に刺さる
同僚「なに、どうかした?」
春紀「……いや、なんでもない(消え入る声)」
 春紀、自分の指先を見つめる

● 春紀モノローグ
  「すき」……?


● 入り乱れる過去の思考
  半年前の雪子「……春紀って本当にさぁ、私のことすきなの?」

  昨年の雪子「もう、私のことすきじゃないんでしょう?」

● 春紀モノローグ 
  あのときの雪子は、こう言ってたんだ……。
 俺は、全部伝わってると思って、なにも言わなかったんだ、俺。すきも、すきじゃないも、全部伝わってると思って。向き合うことが面倒で、ずっと雪子を放ったらかしにしてたんだ。


オフィス、夕方
春紀「(つぶやくように)……俺、すきじゃないとか、別れようとかも、全部伝わってると思って……」
 春紀、椅子の上で天を仰ぐ。
 視界に同僚の影が入る。
同僚「うわっ、お前、どうしたの?」
春紀「えっ?」
 同僚の方を向き、聞き返す
同僚「お前、泣いてんじゃん……」
 春紀、ほおの涙を拭う。
春紀「……俺、ずっと忘れてた言葉を思い出したんだ」

* * *

・「すき」はある日突然ではなく、徐々になくなっていく
・時間や慣れにかまけている人に降りかかる
・思い出す人もいれば、二度と思い出さない人もいる
・「すき」がある人とない人は世界に入り乱れている
・「すき」をなくす過程、思い出す過程、なくしたことに気づかない人のオムニバス



最後まで読んでくれて、ありがとうございます!