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【日記】ただの日記 5/12


「しあわせですか?」とか、「最近なにかに感動しましたか?」と聞かれると、質問内容が荒すぎて、答えるのにおののいてしまう。私にとってはしあわせだし、私にとっては感動したことだけど。あなたは私にどの程度の「それ」を求めているんですか? と、逆に尋ね返したくなる。

私よりしあわせな人はきっとたくさんいるだろう。でも、私はいまの自分もなかなかいいと思っている。もっとたのしく、もっと自由になれるとも思うが、とにかく不幸ではない。私を「不幸であることにしたい人」がたまにちらっと現れるが(これ本当にウケる)、たいていは気にならない。心の中で、ちょっと攻撃的な意味の指を立てるくらいに留めておける。

あと、私は小さな感動を見つけるのが下手ではないみたいだ。改めて気づかされ、うれしく思った。ごはんがおいしかったとか、すてきな映画を観たとか、ラジオで好みの曲を発見したとか、そのくらいで割と「おっ」と心動かされる。

ふと時計に目をやったとき、自分の誕生日と同じ数字の並びをしていたとか(6時19分!)、久しぶりに読み返した本が、いまも変わらず大切だとわかったとか、空に雲ひとつなくて夏の匂いがするとか。そんなのも、「おっ」となる。

周りはもしかしたら、感動には、それに到達するまでのなにか大きなうねりとか、試練とか、そういうものを求めているかもしれない。でも、ダイナミックな出来事がなくたって、日常はそれなりに感動で満ちている。私は「おっ」を重ねながら生きていきたい。し、やってきた「おっ」を逃さないように、心に余裕を持って毎日を過ごしたい。

忘れないでおこう。



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