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だれかに影響を与えるということ


「高校の時にさ、相対性理論の音源貸してくれたやん。あれきっかけで俺、邦楽もちゃんと聴くようになったんやで」

何年ぶりかにオンライン上で再会した友人が言う。「えー、そうやったん、知らんかったわ!」と、私は心底おどろいた。そのときのことはよく覚えていたが、まさか自分きっかけだったとは。


私は高校の頃軽音部に所属していた。その同窓会のような飲み会が、先日Zoomで開かれた。「このご時世のおかげ」というと語弊しかないが、オンライン上で集まることへのハードルが随分と下がっていたことが幸いした。

同窓会をする話は数年前から持ち上がっていた。しかし、みんなの住んでいる場所があまりにもばらばらで実現していなかったのである。Zoom飲みが浸透したいまは、「やるよー」のLINEである程度の人数が集合できるのだからすごい。


話を元に戻そう。
この日、時間通りにアクセスしたのは彼と私のふたりだけ。他のメンバーが来るまでの雑談の中で、冒頭のエピソードにつながっていく。

そう、彼の高校時代はほぼ鎖国状態だった。邦楽は聴かないと豪語しており、じゃあ洋楽はなにを?と問うと、まったく聞いたこともないハードロック、ヘヴィメタルバンドの名前が次々飛び出した。

それほど早熟(?)だったからか、途中から入部してきた彼のベースプレイは、高校生とは思えない玄人感を醸していた。我々部員一同は、はじめてそれを見たときに度肝を抜かれ、彼は即日でうちの部のエースになった。


その彼の鎖国を解いたきっかけが、私の貸したCDだったと言うのである。しかも「そのあと俺、真部脩一信者になって、いろいろ掘ってってん。タルトタタンとか、集団行動とか」とつづけるではないか。まじか。

「邦楽のおすすめ、なんか教えてや」と聞かれて、何気なく選んだつもりだった。それがこんなにも彼に影響を与えていたなんて。うれしさと得意な気持ちが湧いて出て、しかし時差で恐怖も来た。


これはプラスに作用していたからよかった。でも、逆のパターンもきっとたくさんあるのだ。だれかを無意識に傷つけ、広く深くその跡を残してしまったようなことが。

自分が思い出せる限りでも、実はいくつかある。無知ゆえに人を傷つけたこと。いまなら絶対に言わない言葉を口にして。私の知識不足など関係なく、きっとあのときの彼女ら彼らは真っ当に傷を負っただろう。なんでそんなにひどいことが言えるのか、と。


うれしいことだけを素直に拾っておけばいいのに、どうしてもその裏のエピソードが頭をかすめる。それが私。ずっと変わらぬクセ。

やさしくなりたいな、といつも思う。
むずかしいと気づくたびに泣けてしまう。

まあでも、無理やり良く締めるなら。
同じくらいかちょっと少ないかの割合で、私は人にいい影響も与えられてるらしい。今回の飲み会でそれに気づけて、やっぱりちょっとうれしかった。


最後まで読んでくれて、ありがとうございます!