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岩手山の歴史

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本日は「岩手山の歴史」をテーマに書いていきます。

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先日、岩手山の焼走り口から登頂したことを書いた。

今日はそもそも岩手山ができた経緯について書いていく。

結論、岩手山は何回も噴火を繰り返してできた活火山の歴史を歩んできた。

岩手山自体は約70万年前から存在していたとされている。

70万年前というと、縄文時代よりもっと前の時代。

日本には人が住んでいなかった可能性が高い。

それが約1万年前の縄文時代に入ると、岩手山の西と東に分かれてそれぞれ噴火するようになる。

これは西と東を分断する層のようなものが形成されたからだと考えられる。

さらに時代を跨いで江戸時代になると、噴火が立て続けに起こる。

1回目は1686年(17世紀)。

この時は岩手山の西側が噴火したらしい。

そして2回目は翌年1687年。連続して起こった。

盛岡の中央公民館には絵図が残っているが、この時もやはり岩手山の西側が噴火したことが記録されている。

3回目は1732年(18世紀)。

この時は1・2回目の噴火とは違い、溶岩がたくさん流れてきたと伝えられている。

熱々の溶岩が次から次へと流れ出た。

それによって焼走り登山口ができたとされている。

実際、焼走り登山口の隣には、「焼走り溶岩流」という観光名所があるのを見かけた。

1kmにわたって溶岩がびっしりと固まって岩場のようになっていた。

今では岩手山とのコントラストが人々を魅了しているが、ここもいつ噴火してもおかしくない。

ちなみに3回目の噴火では、岩手山から30kmほど離れた盛岡にもマグマが降ったとされている。

恐ろしい。

その後は明治時代を超えて大正時代に4回目の噴火が起きた(1919年)。

この頃はちょうど第一次世界大戦が終わった頃と重なる。

日本が大変な状況になっている中で、岩手山では水蒸気爆発が起きた。

火山灰が10cmほどつもり、とても歩けるような状態ではなかっただろう。

そこから約100年間、岩手山では一度も噴火が起きていない。

その間にも噴気が出ることはあったらしいが、大規模な噴火には至っていない。

南海トラフのように、岩手山の噴火もいつ起きてもおかしくないのかもしれない。

いずれにしても、岩手山は最高峰なだけあって景色が最高だった。

日本百名山たる所以が分かった。

*噴気:山から水蒸気が噴き出ること。

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