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「有害な女らしさ」は存在するか?

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こんにちは、花つ葉です。今回は「有害な女らしさは存在するか?」について思うところを書いてみたいと思います。

有害な女らしさについては、先行してShu.氏の秀逸なテキストもあります。併せてご覧いただければと思います。

「有害な男らしさ」とは

さて「有害な女らしさ」について考える前に、まず「有害な男らしさ」という言葉を聞いたことはあるでしょうか。

「有害な男らしさ(toxic masculinity)」という言葉は1980年代に「正しい男らしさを取り戻す」という文脈の中で生まれたとされています。その意味は何度か変遷しており、変遷の歴史も興味深いものです(記事の最後に参考リンクを置いています)が、現在はおおむね以下のような意味で用いられています。

伝統的に「男はこう振る舞うべき」とされる行動規範のうち、負の側面があると考えられるもののこと。男性優位の意識、男は強くタフでないといけないという意識、男は性的に活発であるべきという意識などが例として挙げられる。こういった特性を持つことが性差別主義や暴力行為につながったり、こういった男らしさに縛られることで心身に悪影響が及んだりするのではないかと指摘されている。

これをそのままミラーリングしてみましょう。

伝統的に「女はこう振る舞うべき」とされる行動規範のうち、負の側面があると考えられるもののこと。女性劣位の意識、女は弱く無力でないといけないという意識、女は性的に消極的であるべきという意識などが例として挙げられる。こういった特性を持つことが性差別主義や加害行為につながったり、こういった女らしさに縛られることで心身に悪影響が及んだりするのではないかと指摘されている。

どうでしょうか。「男性優位の意識」が妻へのDVに繋がったり、「タフでないといけない(=弱みを見せてはいけない)意識」が苦悩を一人で抱え、自殺や過労死につながったりと、「男らしさ」が有害となる例は割とすぐに思いつくと思います。

女性の方はどうでしょうか。「女性劣位の意識」が暴力沙汰を招いたり、「無力でないといけない(=強さを見せてはいけない)意識」が何か厄介事に繋がったりすることは、なさそうな気がしますが、そう判断しても大丈夫でしょうか。

私は以下の3点でダメだと思います。

1.男らしさとの共犯関係

例えば「男は強くタフであらねばならない」という男性の意識は「男が女を守って当然」という行動規範を作ります。これと同様に「女は弱く無力であらねばならない」という女性の意識が「女は男に守られて当然」という行動規範を作ります。

この女性の「女は男に守られて当然」という行動規範が、男性の「男が女を守って当然」という行動規範を強化することはご理解いただけると思います。

別の例を挙げましょう。「女性は性的に消極的であらねば」という規範は、男性の「性的に積極的であらねば」という規範を強化します。女性が性的に消極的に振舞えば(欲望はあるのに、ないかのように振舞う)、男性は「女性は自分からは言い出せないものだから、男性が率先して女性の意向をリードせねば」と考えるようになります。男性だけが「性的に積極的であることをやめよう」というわけにはいかないのです。

つまり、男性規範だけを責めても、女性が女性規範を捨てないと「有害な男らしさ」はなくならないのです。他の男性規範と女性規範を考えてもすべて相補的関係にありますから、男性規範が有害であるのなら、それを強化する女性規範もまた有害と考えざるを得ません。

「男らしさ」が能動的に外部へ働きかけるものであるのに対し「女らしさ」は受動的に機能することが多いので見えにくいものなのです。けど、見えにくいからと言って存在しないわけではないですし、役割が微弱というわけでもないのです。

2.上方婚志向

女性は結婚相手を選ぶとき、明確に「自分よりも収入の高い男性を選ぶ」傾向があります。エビデンスは色々ありますが、さしあたっては2017年の総務省調査を挙げておきましょう。夫の年収がいくらであろうと、妻となる女性の年収構成に大きな変化はない(夫による妻の選好に年収は無関係)のに対して、妻は明らかに自分より年収の高い男性を夫に選んでいることが読み取れると思います。

女は男を扶養しない(上方婚)

女性が明確な上方婚志向を持つ原因としては「女性のライフプランには妊娠出産が入ってくるので、どうしても夫の経済的サポートが必要」ということがよく言われますが、この考え方は「男は仕事で家計を支え、女は家庭(家事育児)」という伝統的な男性規範・女性規範をベースにした考え方です。上方婚志向は「女性規範(伝統的女らしさ)」を丁寧になぞる選択と言えます。

この上方婚志向そのものは「婚姻の自由」の範疇ではありますが、この上方婚志向を女性の多くが保有した時、個人を離れた社会レベルで何を導くでしょうか。

結婚した女性が妊娠出産を迎え、夫婦どちらかが育児担当をするとき、普通は収入の多い方が仕事を続け、収入の低い方が育児担当を行うのが経済合理的です。女性は上方婚を選ぶことによって、自ら将来の自分を家庭に押し込めているのであり、そのことが男女の生涯年収の格差となってきます。

女性が育児担当をするということは、女性は管理職への出世競争から降りざるを得ず、そのことがジェンダーギャップ指数の低下の原因ともなります。また企業社会の中で「女性は結婚出産したらすぐ辞める」という固定観念を生み出し、入社や昇進の選考の際のバイアスとなってしまうわけです。

日本政府が推進する「男女共同参画社会」を目指すうえでは、この女性の「上方婚志向」こそが最大の障害です。「男女共同参画社会」推進派(フェミニスト)であれば、これをこそ「有害な女らしさ」だとして糾弾すべきなのに、なぜかそういう声は聞こえてきません。

3.女性は弱いものという先入観

「女性は弱く無力なもの」という意識が浸透すれば、それはおそらく、当の女性たちにとっても足枷となるでしょう。新しいことに挑戦する勇気や、自己肯定感を損なう事が予想されます。これはやはり本人にとっても損失ですが、社会にとって損失と言わざるを得ません。

これは同時にまた、女性たちの可能性を狭めると同時に「本来なら1人でできることに助力を要請してしまう」という面もあります。社会的コストが増大するという面があります。夜道の1人歩きは怖いので、女性専用バスを税金で走らせると女性は安心して帰宅できますが、税金で行うべき他のサービスが行えなくなります。これは社会的損失です。

しかしそれ以上に「女性の悪意を見えにくくする」という有害さがあります。「女性は弱いもの」という先入観は、まさか女性がそんな悪事を働きはしないだろう、という油断につながります。そんな油断が引き起こしたのが、旭川女子いじめ事件ではなかったでしょうか。

女性にもいい人もいれば悪い人もいるはずです。それを一律に性別で区切って「女性は弱いもの」という通念を作ってしまうと、その通念が「女性の加害性」を覆い隠して、見えなくしてしまいます。これもまた「有害な女らしさ」の一形態だと思います。

結論

以上に見てきたように「有害な男らしさ」(=伝統的男性規範の悪影響)と同様に「有害な女らしさ」(=伝統的女性規範の悪影響)も少なからず存在し、そしてこの2つは表裏一体、相補的関係にあるものと言えます。どちらかを悪と断ずるなら、その裏面も同じく悪と断じて対処をする必要があるわけです。

例証として挙げた「女性の上方婚志向」などは、まさに「男は仕事」という男性規範の裏返しですね。男性に「有害な男らしさ」を捨てようというなら、女性も「有害な女らしさ」を捨てる必要があることが良く分かるケースだと思います。

「男らしさ」もそうですが、それが有害なものなのか、それとも有益なものなのかは時と場合によります。また「誰にとって」有害なのか、も非常に重要なポイントです。社会にとって有益だが、自分にとって有害な男らしさ、というものも考えられますし、パートナーにとって有益だが、社会にとって有害な女らしさ、というものも考えられます。

近年のフェミニズムの論調を見ると「有害な男らしさ」を「男らしさはすべて有害」だとか「男らしさが諸悪の根源」と考えてそうな用法も散見されますが、そうした雑駁な議論に流されることなく「この女らしさはどういう場合に有害か」「この男らしさは果たして誰に有害か」を丁寧に考え、またその裏面(男らしさの裏側に、女らしさが誘因として働いていないか)にも十分に注意を払って考えたいものです(特に有害な女らしさは、有害な男らしさが能動的に確認できるのに対し、受動的に機能することが多いので見えにくい、ということも意識しておきたいですね)。

参考

以下のウェブサイトは男性学(=フェミニズム別動隊)の立場からの記載ではあるが「toxic masculinity」の起源と意味の変遷について記載されており、興味深い。

「男性性の悪い部分=Toxic Masculinity」を抑制し、「良き男性性(深層の男性性)」を回復させることで、男性たちに自分自身をとり戻させようというこの運動の中で、このToxic Masculinityという言葉が登場したと言われる。
日本語にこの言葉を翻訳するとき「有害な男らしさ」とまとめてしまうのは、冒頭でも述べたように、ちょっと気になる(中略)ちょっと長くなるが「自他を害する過剰な男らしさへの執着」くらいの訳語の方がしっくりする

以下のウェブサイトも「toxic masculinity」の意味の変遷やその概念の危うさについての記事で、これも興味深い。

「有害な男らしさ」に対する解毒剤は、より立派な父親の存在、すなわち適切な男らしさを教え込んでくれる父親の存在である、と考えられたのだ。
「有害な男らしさ」が精神医学や心理学と結びつきながら発展してきた特徴を持つという点だ。そのため、治療によって男性の「有害性」は除去することができるという治療モデルが構築され、同時に男性の問題は男性個人の内面性によるものであるという説明が説得力を増していくようになった
ところが、2017年から「有害な男らしさ」が指し示す対象は、大きく変化する。#MeToo運動の中で「有害な男らしさ」という用語は、周辺化された男性ではなく、トランプ前大統領や映画プロデューサーのワインスタインのような権力を持つ白人男性を対象として用いられるようになったのである。


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