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せっかくの「お金に興味が湧かない」という生まれ持った"特権"を放棄し、資本主義の奴隷で在り続ける人たち

「お金に興味がない」というのは少々言い過ぎかもしれないが、「そこまで大金持ちになりたいわけでもない」という人は大勢いる。

というか、僕の周りを見ている限り、ほとんどの人がそうだと感じる。

欲しいものがたくさんあったり、もっと有名になりたかったりする人は、ものすごい勢いで働くし、日夜お金のことを考えている。で、実際そんな人は意外と少ない。

ただ、ビジネスの世界に目を向けると、(誤解を恐れずに言えば)「人生の価値は、お金で決まる」と考えている人は多いように感じる。彼らは日々エネルギーを燃やして仕事を頑張っている。

あなたはどうだろうか?

常にお金のことを考えていたり、ほしいものについて考えていたりするわけではないのなら、そこまでお金が好きな人ではないのだろう。

決して「嫌い」ではないだろうが、人生のすべてを「所得の最大化」に努めようとする人種ではない。これは断言できる。

僕は、上記の人こそ、「現代に生きる特権階級」だと考える。

なぜなら、お金の奴隷にならなくてすむから。

僕は社会人になってから、多くの時間を「お金大好き教」の方と時間を共にしてきた。僕自身もその「所得の最大化」こそ、人生の意義だと思っていた。

彼らの物を判断するときの価値基準は、それが所得の最大化に繋がるかどうか。個人的には決して楽な人生ではない。

正直、しんどい。今は率直にそう思う。
そして同時に、いわゆるお金持ちにも僕はなれないと思う。所得の最大化に人生を費やすことに全くエネルギーが湧いてこない。

ハイブランドや高級車にも全く興味がない。
タダなら欲しいくらい。頑張る動機には全くならない。

こういった感覚を持っている人は、意外にも多いように思う。
これを読んでいるあなたもきっとそう。

所得の最大化は本当にあなたが目指したいところだろうか?
それに対し、心からエネルギーが湧いてくる感覚はあるだろうか?

自分にムチ打って、「頑張れ!」と言い聞かせてやっているのなら、答えはNo。


この所得の最大化に100%のエネルギーが湧いてこないにも関わらず、あらゆる選択基準が、「儲かるかどうか」になっていやしないか。
なんでもいい「皆から認められるかどうか」、「モテるかどうか」でもいい。

それらは現代に根付く大衆的価値観だ。
逆に上記の価値観にそんなに興味が湧かないのであれば、あなたは「特権」を手にしている。

それは自分がいいと思ったものに邁進できる特権だ。

別にお金持ちじゃなくてもいい、大勢にモテなくもいい、と心底思えている人間は強い。

誰に惑わされるわけでもなく、自分の好きな時間、ものごとを追求していける。

僕の場合、図書館で本を借りたり、オーディオブックを聞きながら公園を散歩している時間が一番心地いい。

それらは決してお金稼ぎの時間でもないし、誰かに認められる時間でもない。モテることもない。

でも、僕はそもそもそういうのに心からのエネルギーが湧いてこない。
見せかけのエネルギーは作れるけど、割とすぐに枯れる。

だからこそ、図書館で本を借りて、散歩をして、少し仕事をして、また自分の調べたいことを調べて、たまにサウナに行って、好きな人・気の合う人と飯を食うのが最高で、という生活に邁進できる。

世間的には認められなさそうだけど、自分は興味がある分野のことを、ずっと調べたりもできる。で、それが仕事に活きることもある。

あなたも本当は所得の最大化がしたいわけではないんじゃないか。

最後に、これは自分に宛てた言葉でもあるが、
多くの人が善しとしている「大衆的価値観」に余り興味が湧かないというせっかくの"特権"をもって生まれたのに、なぜ自らそれを放棄し、大衆的価値観に迎合し、奴隷のような動きをしているのか、疑問に思うことが多々ある。

あなたはある種の貴族なのだ。

自分が「これは最高だ!」と思える時間を放棄してまで、名声集めや銀貨集めに遣っている時間は一秒もない。

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