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13.うつ病発症 & 実父・親友たちの他界

2002年ごろまで「見えない世界」周辺をウロウロしていたわけですが、その後、私の人生の雲行き・風向きが怪しくなってきます。

2003.4 実父他界

2~3年前から実父が頭重を訴え、脳神経外科でみてもらいましたが異常はなく、心療内科で安定剤等を処方してもらっていました。しかし症状はあまり改善されず、神経ブロック療法や漢方なども試しました。

少し良くなってきたかなと思ったのですが、4月の某朝、持病悪化(心臓)で実父は、突然他界してしまいました。

前日の夜まで普通に話をしていたわけで、難病で他界した実母の時とは違い、実父の突然の他界は衝撃的でした。この世からいなくなってしまった事が信じられず、しばらく尾を引きました。

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2003.11 うつ病発症

実父の他界あたりから、仕事上で、膨大な仕事量のあるプロジェクトを任されました。通常の業務に加えたプロジェクトであった為に非常にきつく、またその仕事を分散するにも人材がおらず独りで抱え込むことになってしまいました。11月末期限のそのプロジェクトが近づくに連れて精神的に不安定になりました。

今思うに、その仕事に没頭するあまり全く回りが見えない状態でしたね。また、そのプロジェクトは非生産的で、自分の思考とは大きなズレがあり、大きな負荷、ストレスがかかっていたと思います。

やがて、眠れなくなり、食欲も落ち、テレビを見ても新聞を読んでも、全く頭に入ってこなくなりました。アルコールを飲んでも全く酔わない。非常に強い焦燥感がありました。11月の中頃、仕事をしていて、理解の停滞や何をしているのか解らない状態となり、心療内科へ行きました。そこで「うつ病」と診断されたわけです。

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「spritwindの物語」の一番初めに、上記の自律神経失調症による断食を行った旨を書きましたが、この時と似ている症状ではあったものの、焦燥感と落ち込みが別次元だったと思います。

これが’うつ病’なのか・・・その後、一ヶ月半の休職を余儀なくされ自宅待機となりました。抗うつ剤、安定剤の服用となったわけですが、しばらくそのプロジェクトが頭から離れず焦燥感が続きました。結果的にはそのプロジェクトは暫定的に何とかなったのですが、しんどかったですね。

一ヵ月半の後、症状は治まり、V字型に回復しました。その後も特に問題なく精力的に公私活動できました。予防として、セロトニン活性化の為に、リズム運動であるウォーキングや丹田呼吸法なども積極的に継続して行っていました。

この頃に、’臨死体験’坂本政道著を読み、モンロー研究所を知り、ヘミシンクの音楽を聴いたりしていましたね。

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2004.12 スマトラ島沖大地震で親友が他界

学生の頃の知人でヨガの先生をしている方がいました。十数年ぶりのまさに目に見えない力による再会後、時々連絡をとって一緒に飲みに行ったりしていました。彼はもともと身体が弱く整体の健康道場へ通っていました。私と同時期に母を亡くしました。包み込むような柔かい気を持つ人でしたね。

そんな彼がスマトラ島沖大地震によるインド洋津波にのまれスリランカで帰らぬ人となりました。(ヨガを学ぶ生徒さんと一緒に旅行していたらしい)実父の突然の他界に続き、親友との突然の別れは、私の心の奥に深く暗い闇をもたらしました。

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2005.2 うつ病再発

特に何か大きな出来事があったわけでもないのですが、今後しばらく今の仕事とその生産性の無い仕事をこなしていかなければならないのか・・・との思いが強くなり、身体が動かなくなりました。それは、うつ病の再発でした。

その後またしばらく休職し、退職も考えましたが、プロジェクトの責任者からはずしてもらう条件で復職しました。まだ子どもも小さく、経済的にも何とか働かなければ、子どもたちを養っていけません。しかし、挫折感、孤独感、自己崩壊、自己嫌悪、自信喪失、気弱面増幅などの状況から抜け切れず、非常に苦しい状態が続きました。

メンタル的には、まさにどん底状態でした。薬はあまり飲みたくなかったので、リズム運動や、鍼治療に通いました(鍼治療は多少効果がありました)。復職当初は、長時間の車の運転もできない状態で、まさに気が萎えているようでした。

半年を過ぎたあたりから、ようやくまずまず普通に働けるようになりましたが、公私共に、トラブルや想定外の出来事に遭遇すると過剰・過敏に反応し、辛い状態が続きました。上がったり下がったりを繰り返しながら、それでも何とか仕事はこなしていました。表面的には以前の状態に戻ったように見えたことでしょう。

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2006.2 心臓肥大の病で親友他界

心臓肥大の病で、高校の同級生が自宅で倒れそのまま帰らぬ人となりました。2005.11に両家族で食事をしたのが最後となってしまいました。その頃、私も体調があまりよくありませんでしたから、元気付ける言葉もあまりかけることができず今でも悔いが残っています。こんなにはやく旅立ってしまうなんて・・・ショックな出来事でしたね。

その後、まさに「低空飛行」の状態が続いていましたが・・・つづく。

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