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密教は当時最先端のライフスタイルだった?占星術も同じだった・・・

なぜ、今頃に精神世界に傾倒を始めたのか?

加持祈祷といえば密教の日常作法のようなもの
特別なパフォーマンスでもなければ日々の修行の一部で
あって、その密教そのものが特別な隠された裏社会でも
なければ当時のライフスタイルである、今日の科学技術など
最先端の学問でした

それは西洋占星術も同様のことです

今日、スピリチュアルの名の下にオカルトチックな
世界や霊的世界とか陰謀論的な匂いを発散している事柄が
広がっていますが、本来、加持祈祷(密教)や占星術という
のは当時の最先端の科学でありライフスタイルだったので
奇異を狙うパフォーマンスやエンターテイメントの世界では
ありません

では、なぜ、今頃に精神世界の扉が開き始めたのか?

私的には、それが不思議で、それこそがインドの体験です
遠い昔に学生の頃、インドを1年も放浪しました
今でもですが当時インドは世界で一番旅しにくい地域で
有名でした

根源は「価値観」が世界とは完璧に違っていたからです
でも、それがビートルズをインドに釘付けした理由でもあり
また、それが世界中からヒッピーをインドに集結させた原因でも
ありました

その「価値観」とは「精神世界」でした
世界中が「物質文明」に謳歌された真っ最中でした
「科学万能」の世界で「コンピュータ」が人間に取って代わると
まで言われる「数値」がすべての世界をひた走っていました

ところが占星術の大家「ノストラダムス」が世界の滅亡を予言しました
もちろんキリスト教も「黙示録」で世界の終わりを預言し
仏教でさえも「末法」の世がやってくる預言してます
つまり世界のすべての古代文明が世界の終焉を預言する中で
なぜか「インド」では「復活」が予言されていました

どうして?

筆者がこの謎を解けたのはヨーロッパ出張でデンマークの
公文書を偶然読んだ時でした
「私たちは人々の幸せを求めて歴史的に蓮脈と頑張ってきた
それは人権の確立であり人権の保護拡大だと考え、個人主義を
発展させてきた結果が今日の孤独地獄を彷徨う人々の群れを
作った。打開策も出口も見つからないまま絶望の淵に立ってる・・・」

インドは古代からの精神世界を維持してきた唯一の国家地域である
物質文明に行き詰まった世界がインドの精神文化に救いを求めに
やってくる

これこそが「インドの復活」であり人類のサバイバルなのだ

空海が生涯をかけて
人々に伝えた密教とは?

弘法大師空海の説く真言密教の大きな特徴は現生利益

密教では、仏教を密教と顕教に大別している。
顕教が釈迦如来を本尊とし、
修行を積まなければ成仏できないのに対して、
密教では、すべてのものは大日如来が姿を変えたものであり、
姿形が異なるだけという考え方が基本。

人がもともと備えている仏性が表れれば、
現世における肉体のままでも、仏であると考える。

「密教とは、『本質上は仏と私はひとつである』という考え
なのだという。
それにより、自ずと仏に礼拝する行為が出てきます。
自心仏に目覚め、仏と一体になった境地を実感するために、
修行を積んでいくという思想です。

「密教は、他の宗教を否定しません。
宗教だけでなく、人間の業や欲、煩悩を否定するのではなく、
仏性を覆い隠しているさまざまなものの存在に気づき、
日々を生きるということです。

心のありかたに注目が集まっている現代にこそ
密教は必要な教えであるともいえるだろう。
「密教は『信じる』対象ではなく、
常に自分の中にあるもの。
日常の中で非日常を感じ、心を整える手段ともいえます。
日常生活では妄想が起こり、すぐに瞑想に入ることはできません。
この世には生と死があり、善と悪があります。
そういった相対的な世界に生まれ、生きている。

その間で悩みながら生き、
その世界を超えた仏性を意識することで、
相対的な束縛から自由になる。

それをつきつめていくと、奥底に光る仏の世界があります。
宗教とは感激であると考えています。
我々は感情に左右される生き物ですが、
困難があるから幸せを感じることができます。

密教はどこで生まれたの?

密教は6世紀頃、
ヒンドゥー教の影響を受けながら仏教の流れとしてインドで成立した。

中央インドで展開したものを善無畏(637〜735)が、
南インドで展開したものを
善無畏金剛智(671〜741)と不空(705〜774)が唐に伝えた。

さらに唐で恵果阿闍梨から伝法灌頂を受けた空海が
日本にもち帰り、布教した。


炎で煩悩を焼き浄める密教ならではの祈祷

供物を煩悩になぞらえ、
燃え盛る炎の中に供物を投げ入れながら祈る修法。

護摩の炎で悩みの原因や病魔を焼き尽くして
願いをかなえる意味ももつ。

護摩には2種類あり、
内護摩とは瞑想の中で行う護摩のことで、
実際の炎に供物を捧げることを外護摩という。
ふたつは同時に進行されるものであり、行者自身の内面を清浄にする。

こころの在り方や安らぎが問われる今日に

人々は大きな不安に包まれる時代になってます
それは、まさに、中世が終わり近世と呼ばれる科学という
新しい宗教が生まれる時代に似ているとすれば
歴史の皮肉なのかも知れません

中世の不安とは?
宗教者の不条理な支配から不満が生じた
希望の見えない社会だったのかも知れません

現代の不満とは?
数限りないほどに湧き上がってきます
・お金に支配される社会
・いまだに続く血脈に支配される社会
・知的能力に欠ける管理者に支配される社会

ただし、非現実な平等が色濃く宣伝され努力の劣るものが
敗者に至ると不当な競争の覆いつくす社会に人々は
こころの成長を手放し貧しく枯れ果てた自身を慰める
術さえ失い絶望と不毛の中に立ち尽くしている

そして今日の社会とは?
こころの充実を求めて科学という名の宗教に
反発を感じ始めてるのかも知れない

そんな折・・・
こころの平安を求めるための
占星術とか密教に根差す近代科学では証明されない
見えないパワーを求めるのは自明の理かのかもしれない



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