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集合的無意識、宇宙の真理、そしてアカシックレコードへアクセスするために

集合的無意識と宇宙の真理
 

僕は集合的無意識への到達、真理の永続的実感に興味をずっと持ってきました。

スピリチュアルの世界に興味をもったのもそれがきっかけです。

それまでも瞑想系の本、禅の本、深層心理学の本、超能力系の本をたくさん読んできたのですが、一番大事な実感がともないませんでした。

当たり前ですよね。

 

現実的生活と仕事との兼ね合い
 

つまり、これが本の限界です。

知識は蓄えられましたし、知的好奇心を刺激してくれました。

そんな中出会ったのがスピリチュアル系の本です。

といっても、あんまり現実離れしている本は好きではありません。

あくまで僕の毎日の生活や仕事の中に、人生の絶対的指針として、スピリチュアル的な発想を入れ込みたいというのが動機です。

 

実感がないとスピリチュアルは成立しない
 

いずれにしても、実感を伴わなければただの死んだ知識です。

本でこう生きたいな、こう生きるべきということは学べます。

でも、悟りと同じで、強烈な実感を伴って始めて、その知識は生きたものとなります。

そういう意味では、岩波先生の脳覚醒技術に触れて、はじめて僕のスピリチュアル的追求はスタートラインに立ったと思います。

それまではアカシックレコードの話を読んでも聞いても、「そうなんだ~すごいな~」という感じでしたし、集合的無意識の可能性を知っていても、銀河系のことを思い浮かべるようなもので実感なんてありません。

 

一度の強烈な実感の前の理屈なんて
 

今は違います!

無意識の底知れぬ深さを実感し、自分自身の可能性、人間の可能性、脳の可能性、そして神秘性や奇跡を目の当たりにしています。

強烈な情動の深遠なるうごめきを感じ、陶酔状態を超えた陶酔感がどんどん深まり、悟り的気づきが生まれ続けています。

どんな理論も理屈も、たった一度の強烈な実感の前には塵芥にすぎません。

理論家や評論家や研修者になるなかれ、です。

 

幸せに生きること、自分の中の充実
 

実践家になるしか、スピリチュアルをエラソーに語れません。

まあ、エラソーに語っても、どれほどすごい体感なのか伝えきれないのが残念です。

アカシックレコードにアクセスしたって、伝えられないわけなので、これがスピリチュアルの宿命ですね…

これは自分の中での問題だから、誰からどう思われても全く関係ないのですが。

結局、幸せになればいいじゃないか、人を幸せにできればいいじゃないか、ということなのでしょうか。

 

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