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無題

o_(Toshiya Matsushima)
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昨年仕事のオーディション(落ちた。。該当者なし)で作った音楽です。

考えていたのは柔らかな揺らぎと音の高低差
ピアノとパッドにソプラノを歌わせました。

音を作る時 名付けられない 言語化できない思いを
体で表出している感覚がある。

音楽は言葉を無にしてしまう。曰く喋れなくなる。

ただ見えているのが光であったり、青い色合いが肌に触れていったり
きたりするとか、陰に色がついたりなくなったり
上がって行った蝶がまた空気に溶けていくとか

私はドラッグ推進派ではないのだが。。。

連なる連想と感覚はそれに近いのかもしれません。

ただ音楽で何かに触れて、感覚が高くに昇って
その段階がなぜなのかを分析しようとはしている。

ダライラマ13世がドラッグと悟りの違いについて語っていたことによ
ると
両者は同じであると
しかし違うのは悟りは段階を経て登ことも降りることもできうるもの
だということだそうです。

また快楽主義とはそれをコントロールできている人の知性に重きを置いた思想だと
本の中で見つけた。

私たちは音楽で何かを弄んでいるのではない。
感情や愛や知 または人種を

昨日関係ないが恵比寿の写真美術館で日本の里山の写真展を観てきた。
都会が夢見る静けさが大きさがそこにはあったのだった。

東京の郊外で暮らしてきた私にはその重さは計り知れないものであった。

楽曲解説に替えて。

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