幸せになったら

ここしばらくブログを更新していなかった。
今までブログを書いていたのは長時間の移動を要するライフスタイルの中でバスの車内という確保された場所と時間があったからだと思っていたが、原因はそれだけでは無かったと思う。
広島に引っ越して、もっと言うと実家を出て私は少しだけ幸せになってしまったのだ。
22歳を過ぎた娘にも過干渉で食べるものにも着るものにも口を出しその他色んな形でここに書いたらキリが無いほどエグい束縛をしてきた実家から離れ、今は近況報告を求めるしつこいLINEやたまに鳴り止まなくなる電話を無視するだけで済むわけだから、いかに精神的コストが軽減されたかなど言うまでもない。

全部解決した今だから言うが、家族の目を盗んで精神の薬をウォッカベースの酒で流し込む生活と過労で12kg痩せたことに気づいたあの日には戻りたくないのだ。これも今だから言うが、知る人ぞ知る去年の7月あたりに私が腕を14針ほど縫ったそれも親のせいだったりする。何があったかは思い出すのも辛いので書かないが、そんなレベルの家庭だった。

広島で紫陽花を観に行った。
この後大雨に打たれ折り畳みの日傘で立ち向かう。


それに比べて今は治安の良い土地、北九州のイカれたバイト先なんか比じゃないまともな会社。優しい人たち。花は咲き鳥は歌い争いのひとつも見当たらない平和ボケしそうな広島。ありがとう。あと足りないのは福岡特有の刺激と大好きな演劇人の方々だけです。

ドクターストップを食らってもやめられなかったアルコールの需要は下がり、健康的に毎日自炊をしている。4kg太ったけど、適正体重には未だ戻っていない。外食は引っ越し以降会社の同期に付き合って2回だけ。1度体調を崩しはしたものの原因はストレスでもなんでもなく、「水道水を煮沸もせずそのまま飲み続けたから」。
守秘義務のため仕事について詳しくは書かないが、葬儀屋なので毎日大切な人を亡くした遺族を目の当たりにするのは辛いし特に最愛の配偶者を亡くした人が泣き崩れた時なんか自分まで心潰れる思いだがその分やりがいは感じられているので泣きそうな心の弱い自分を引っぱたきつつ目の前の業務に勤しむ。何より職場の民度が高いのでとても助けられている。仲のいい同期と度々お出掛けもする。

引っ越してこのブログの存在を忘れていたとかではなく、広島でも元気に働いたり演劇したり新しい趣味にも手を出したり自動車学校に行ったり、そういった充実した生活の中で「書きたいこと」がなくなってしまった感覚が明確にある。

なんか、人間がちょっと不幸な時にしか作り出せないものとか得られないものってあるんだと思った。福岡のある演劇人も「女性に振られた時とかの方が創作意欲湧くんですよね笑」と言っていた。たぶんそれだと思う。細かめの幸せの基準とかは置いといて。

現に私は、常に不幸、というのは言い過ぎというか当人のスタンスを無視し過ぎている気がするが、常に根底に寂しさを抱えた主宰の作品や主宰のブログの切実な時の文章が特に好きだし主宰の過去作品から感じ取れる寂しさのエッセンスが効く時もあるし話してて楽しそうなのにときたま寂しそうにする主宰本人の表情になんとなく風情を感じる時もある。

そして引っ越して充実しただの幸せになっただの言いながら結局このブログに私は戻ってきたわけだが。そう。ひとりで晩酌をして寂しくなったのである。鏡月をロック、どころかストレートで飲んでいる。文章を書けるギリの酔い方をしている。ブログの終わり方が分からない。主宰どうせ見てるやろ。たまに話ぐらいは聞いてあげまっせ。連絡してきてくれたタイミングで私が起きてればの話ですが。でも主宰が幸せになったらなったで嬉しいな、結婚とかするなら式に呼ばれたい。いつもありがとう。現場からは以上です。

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