最後の誕生日

今年の11月2日は実家で迎える最後の誕生日だった。

過去に類を見ない程のお祝いの言葉なりプレゼントなりを頂き、自分は意外と友達がいる方なのではないかとさえ思った。両親からのプレゼントはまさかの現金だったが、ありがたく演劇のための交通費にさせてもらった。21歳はあまりにもしっちゃかめっちゃかで数え切れないほど事件も起きたので22歳は安全第一、抱負は「知らない人についていかない」にしようと思う。小学生?

私と母の誕生日は1日違いで、次の日の11月3日は母の誕生日だった。季節のフルーツをあしらった特注のケーキに、私と母それぞれの年齢を表す数字の形の蝋燭を立てたら2253歳みたいになった。
蝋燭を刺す前、母は写真を撮ろうと言ってきた。元々言おうと決めてたんだと思う。現にその日、母は私が風呂に入るのを後回しにさせてきた。化粧を落としてしまうと私が写真に応じないから。

家族でケーキを食べた後、母に初めてジュエリーをプレゼントしてみた。小さな花を模した石のついたネックレスで、そんなに高いものではないものの自分なりにこだわって選んだものだった。
そのネックレスの石は一見普通のダイヤモンドに見えるが、光の当たり方によって薄い紫色になる。それは写真で観測する限り母が結婚式で着ていたドレスの色で、おそらく母の好きな色なんだと思う。眼鏡のフレームとか小物もたまにその色にしてたし(キンプリの平野担になってからは推しカラーの赤ばっかり買うようになったけど)。私も小2で初めて眼鏡を作るとき真似して紫色にして、それ以来服もアクセサリーも紫を選びがちである。因みに私にも推しはいるもののメンバーカラーが偶然にも紫なのでブレることなく紫至上主義を貫いており、いつか私が結婚式を迎えるその時には絶対にドレスは薄紫色にしてやると決めている。

ネックレスを受け取った母はまあ大喜びしてくれ、年甲斐もなく無邪気にそれを家族に自慢してまわった挙句「今日これ付けて寝ようかな」とか言い出した。さすがに止めた。

写真といいこの喜びようといい、母なりに寂しいんだなと思った。
私が家を出ると決めてから、当たり前なんだけど母は度々あからさまに寂しそうにする。だから意味もなく写真を撮ろうとしてきても私は化粧さえしていればなるべく拒否しない。小学校高学年〜高校卒業あたりの結構な年数、自分の見た目のコンプレックスのせいで私は家族の思い出残したがりの母と写真を撮ってあげることができなかったのでその負い目もある。
私だってどうせ寂しかったから気まぐれで特別なプレゼントなど用意してみたのだろう。口にだけはどうしても出せない悲しき寂しがりの遺伝子だ。

無加工かーーー。とか思いながら母の携帯で弟に撮られたその日の写真の私は、私が普段思っているほど悪い容姿ではなかった。

背景が実家すぎてさすがにそこだけ加工した
なんでケーキじゃなくて蝋燭と写真撮るんだよ

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