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幸せのなる木

不自由と言う言葉の中に潜む
自由と言う言葉が大好き

誰もが求めてやまないもの
それは自由
それは幸せ
それは誰かの不自由?
それは誰かの不幸せ?

小さい頃にじいちゃんから
「この世には幸せのなる木がある」と聞いた

俺はその時
『そんなものは無い』と思い
俺はその時
「そんなものあるはずが無い」と言った

けれど、ある日
嫌々やっていた庭掃除の途中で
俺は見つけたのさ
シアワセのなる木を

それほど大きくなくて
梅の木によく似ているけれど
俺にはそれがシアワセのなる木だと
一目見てわかった

その枝になっていた実をもいでみた
きっとコレがシアワセなんだと思って

やっぱり梅にそっくりだ

けど、俺は
この実をすぐに食べたりはしない
梅の実が生では食べられないように
シアワセもきっと
そのままではきっと毒があるのさ

だから俺は
その実を塩漬けして
それから干して
梅干ならぬシアワセ干しを作ることにした
いつでもシアワセを食べられるように
大切につぼの中に

時は経ち、つぼの中には
いくらかのシアワセが出来ていた

けど、俺は気付いたのさ
シアワセはこのつぼの中身じゃなくて
枝についているものでもなくて
ましてやその木 自体でもなくて
あぁ、シアワセは
シアワセを手に入れようと
シアワセを作ろうと頑張っていた
俺だったってことにね

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