RAGE Winter 2021

特に何事もなく敗退。敗退自体はとりわけどうでもいい。
どうでもいいと思っていること自体がどうでもよくないが、ともあれ最早特別な悔しさというものは存在していなかった。大会の場、本番の場という意識に欠けているのだ。

負けたら悔しくないか、と言われれば当然悔しさはある。
しかし悔しさの質は歳を追うごとにどんどん下がっていっている。本気で打ち込んで本気で悔しがって、もっと向上したいという前向きな悔しさから、日常のランクマッチと何ら変わらない、どこかの知らない誰かとやる一戦の一部に過ぎなくなっていっている。淡々と試合を行い、勝つゲームは淡々と勝ち、負けるゲームは淡々と負ける。思い通りにいかない歯がゆさはあっても、己の無力に向き合うことがどんどん減った。もはや悔しさのほぼ全て自分のは思い通りの結果にならない歯がゆさのみで構成されていて、そこに己の技量はなんら介在していない。勝ちたいより負けたくないが明らかに優勢になっている。あるべき姿ではない方向で、だ。
そうしないような自分にシフトしていっているのだろうと実感した次第だ。

自己と向き合うこと、自分に原因を求めることはとてつもなく負荷が高い。
そんなストレスは仕事の場だけで常々十分なほどに向き合い続けている。
「せめてプライベートの場だけでも自分の思い通りに行ってほしい」
「自分と向き合うストレスの介在しない場であってほしい」
そんな理想をこのゲームの結果はいとも簡単に打ち砕いてくれる。
運の介在要素はあっても、結局は自身の選択に左右される。確率は平等だ。気付こうが気付くまいが、自分の誤った選択は容易くゲームを敗北へと導く。結局のところ自身の勝率は自身の選択で担保せざるを得ない。
向き合わないものに勝率が担保されるほど現実は甘くはないのだ。

このゲームは、疲れる。

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