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#16 心のみちしるべ その1_慈悲喜捨から学ぶ_20230702

はじめに

仏教には、慈悲喜捨という4つの修行があります。慈とは、何かを思いやり、友だちになることです。それは人間だけでなく、花や鳥なども含まれます。私たちは、さまざまな生きとし生けるものに支えられて生きているのです。目に見えるものや目に見えないもの、あらゆる事象との関係によって、私たちは存在しています。しかし、私たちは思い込みや偏見、狭い視野によって、これは好きだから味方、これは嫌いだから敵というような、自分中心目線の歪んだレンズで物事を観ることがあります。しかし、すべての存在は、私たちを直接的であれ間接的であれ、支えてくれているのです。私たちは、そうした関係の中で生きていることを理解していく必要があります。すべての命や現象と、少しでも仲良くしよう、友達になろうというのが、この修行の目的です。

私たちは、自分の都合によって、自分にとって都合のいい人や物を友だちと考え、逆に都合の悪いものを友だちではないと思いがちです。しかし、私たち自身の考え方を変えることによって、自分にとって都合のいいことも都合の悪いことも含めて、全てが私たちを支えている存在であり、慈しむべき存在であると理解していくことが必要です。

このような心の持ち方は、心を育てることによってのみ実現できます。したがって、慈という概念を実践し、心を育てていくことが大切など教えられます。道徳的にはそれがいいことは感覚でわかるでしょう。では自分にとって、自分の人生にとって有益なものになるのでしょうか?研究を通して考えていきましょう。

研究紹介

以下は、L. Aknin, J. Hamlin, Elizabeth W. Dunnによる2012年の研究「Giving Leads to Happiness in Young Children」(PLoS ONE)の概要です。

この研究では、20人の2歳以下の幼児を対象に、おもちゃとお菓子を用いた観察が行われました。子どもたちにはお猿さんの人形で遊んでもらいました。そして、お菓子の入ったお皿を2つ用意し、1つは子どもに手渡され、もう1つはテーブルに置かれました。子どもたちはお菓子がこれ以上ないことを伝えられました。

観察では、以下の状況での子どもたちの行動と喜びの程度を観察しました:

  1. 人形と対面する

  2. お菓子を受け取る

  3. 他人がテーブルに置いているお皿からお菓子を人形に与え、人形が喜ぶ

  4. 自分でテーブルに置いているお皿からお菓子を人形に与え、人形が喜ぶ

  5. 自分のお皿からお菓子を人形に与え、人形が喜ぶ

せっかくもらったお菓子を人形に与えるよりも、テーブルに置いているお菓子を人形に与えた方が、自分よし人形よしで一番喜んだのではないかなと私は考えました。それは合理的な判断として仏教に怒られそうですね。この実験の結果は、子どもたちは自分がお菓子を受け取った時よりも、人形にお菓子を与えた時の方が喜びを感じたことが分かりました。また、他人が与える場面よりも自分が与える方が喜びが大きかったです。さらに、テーブルのお皿から与えるよりも、自分のお皿から与えることでより喜びを示しました。

この研究は、子どもたちの行動と与えることと幸福感との関連性を示唆しています。子どもたちは、他者に喜びを与えることによって自身も幸せを感じるようです。しかも、自分の持っているものから、他者に分け与えることに最も喜びを感じていたのです。

人間の欲求をひも解きます

食欲や睡眠欲といった基本的欲求が人間には存在します。具体的には、「生存欲」という生きたいという欲求、「食欲」という食べたいという欲求、「性欲」という子孫を増やしたいという欲求があります。また、「睡眠欲」という寝たいという欲求もあります。さらに、「歓楽欲」という楽しみたいという欲求、「怠惰欲」という怠けたい、ゆっくりしたいという欲求が存在します。そして、「承認欲求」という他人から認めてもらいたいという欲求もあります。現代の社会では、承認欲求が非常に刺激されやすい傾向があります。例えば、芸能人のように注目を浴びる存在に憧れたり、多くのフォロワーを持つSNSアカウントに羨望を抱いたりすることがあります。

これらの基本的欲求を満たすと、脳の報酬系が活性化され、喜びを感じることができます。これらの欲求は、人類が狩猟採集民だった時代から受け継がれてきた生存のための機能であり、非常に強い報酬をもたらすようになっています。ただし、これらの欲求に重点を置いて行動すると、人間関係が円滑に築かれにくくなってしまいます。なぜなら、「今だけ・金だけ・自分だけ」といった考え方の人には近づきたくないからです。また、現代社会では基本的欲求を比較的容易に満たすことができる状況が整っており、ある程度の安全が確保されています。例えば、狩猟採集民の時代では、生存欲求や食欲などを追い求めなければ餓死してしまうかもしれませんし、承認欲求がなければ集団から追い出される危険がありました。集団から追い出されると、私たち個別の存在は、世界からすると非常に脆弱な存在であるため、危険な状態になることを意味します。そのため、これらの欲求は生存のために必要でした。しかし、過去100年間の社会的な進展により、先進国とされる文化圏ではこれらの欲求がそれほど強く働かなくても生きていける社会システムが構築されました。これは非常に素晴らしいことですが、10万年にわたって形成されてきた欲求と100年の変化では比較することはできません。私たちは10万年間の欲求の力が強く、行動の選択にその声を優先してしまう傾向にあります。この欲求に過度に従ってしまうと、良い人間関係を築くことが難しくなってしまいます。現代社会においては自己中心的な欲求に振り回されず、他者への思いやりや慈しみを持つことが重要です。他者に対して何かを与えることで喜びを感じるのは、私たちが本来持っている優れた性質の一つです。この研究はそのこと裏づける一つでしょう。それによって、より豊かな人間関係を築き、共同体の中で幸福感を共有することができるでしょう。

慈悲喜捨の慈が大切な理由

今回紹介させてもらった研究からわかるように、人間には自分の欲求を満たすことより、自分のした行動で人が喜んでくれることがうれしいと思うシステムがあります。そして、自分の持っているものを人に与え喜んでもらうことが一番うれしくなったというある種の自己犠牲がもっともうれしいと感じたという結果でした。慈悲喜捨の慈、あらゆる生きとし生けるものを友だちと思う心を育てる。友だちなら自分のものを分け与えることができやすいですよね。その喜び、成長途中の心ではとても薄味かもしれませんが、それについての喜びを感じることができれば、その実践をしやすい。すると、はからずも幸せの鍵であるいい人間関係を育てていけるでしょう。一緒に自分にとって生きやすくなる心を育てていきましょう。

ストレスによる生活習慣病や不眠症、生活の困難さに対して、薬を処方するのと同じく、日常生活で実践できるアイデアを提案します。お読みいただき、ありがとうございました。皆さんの幸せな生活を心から祈っています。

Reference

Lara B Akinin. Giving leads to happiness in young children. PLoS One. 2012;7(6):e39211.

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