DIABOLIK LOVERSキャラソン初心者向け解説~銀の薔薇、冷たい血、FarewellSong、Q.E.D~【永遠を生きるがゆえに永遠などないと知っている男達】
ドSイケメン吸血鬼に吸愛(きゅうあい)されちゃう乙女ゲーム『DIABOLIK LOVERS』には、永遠に生きる吸血鬼といつかは死んでしまう人間との恋の切なさを歌う楽曲がいくつかある。
吸血鬼たちは愛しい彼女への永遠の愛をロマンチックに誓うが、彼女への愛が永遠に続かないことを知っている。
永遠なんて、ないんだよね…
そんな切ない溜め息が聞こえてきそうな、聞いていて胸を押し潰されそうな楽曲をまとめて紹介しよう。
致死(おもい)は届かず
銀の薔薇
公式試聴動画がないのでblukan氏のミクさんカバーを。
逆巻家それぞれのソロバージョンが用意されているこの歌。つまり、個人の個性よりディアラバ吸血鬼としての全体的な考え方が示されている楽曲だ。(間の台詞が各キャラで違うのと、二人称が違うだけで基本的に同じ歌を別人がそれぞれ歌う)
吸血鬼は銀の弾丸で死ぬ、というのは一般的に有名だ。ディアラバでも吸血鬼が死ねるのは銀による(銀のナイフなどが作中で登場)ものとされる。
※ただし、それでも死ぬには他にも色々な条件が必要なのかもしれない。
ヒロインは「静かに眠」っている。彼女の「瞳に答える術」はないし、「答える意味」はない。つまり、彼女は既に息絶えている。「銀の薔薇」が「錆び付い」ていることからも、愛し合った日々から長い年月が経ち、彼女が寿命を迎えたのだとわかる。
「ナミダ」が「溢れた」彼はどうするか。「酷い運命(いたみ)」を「忘却」れたいと願う。「酷い運命(いたみ)」とは、人間である彼女が自分よりとても早くいなくなってしまうのが決まっていることでありそのことが彼の心の痛みであることだ。そして、彼は「銀の薔薇」を「握り潰」して「飲み干(くだ)」す。彼女の後を追いたいから。
しかしそれでは死ねないことがわかる。「致死(おもい)」が届いていない。この一言は「死にたいという思いが届かない、致死に届かない」の二重の意味だ。
「闇は輪廻」してしまう。
※「ふたり眠れ」とあるので、結局死ねているのか?
陽を憎み続けなさい
ディアラバにおいて基本的に歌詞の舞台は当然ながら夜だが、朝が来ることを示唆している部分が意外とある。それこそが永遠などないというディアラバ全体を貫く思想なのかもしれない。
Mr.SadisticNight
やたら終わり終わり言っているが、終わるのか終わらないのかどっちだ。
夜明け、朝焼け、終わらない夜を終わらせると言っている。つまり時間的に終わりは来るのだが、
その時までは、吸血を終わらせるわけねぇだろ?である。
Cf.ディアラバとは反れるが、すぐ「おわり」に向かおうとする男達もいる。でも彼らの言うおわりは、時間の経過ではない。彼らは過去の屈辱の時から永遠に時が止まってるからだ。彼らの言うおわりは「忘我」や「自我の途切れ」「(自らの)破滅」を指すマゾヒズム思想だ。ディアラバと真逆の人たち!これについてはTwitterでガチャガチャ騒いでるので興味のある人は下記のTwitterスレッドを見てほしい。
もとい。陽を憎む楽曲の紹介続き。
KISS♥️MARK
前回取り上げた逆巻シュウの歌。
「明日が来なくてもいいと思えるほどのSecretnight」「暁の女神に懺悔しよう」
シュウはこの夜を終わらせたくないと思っているが、朝がやがて来ることを知っている。以下で詳しく解説(妄想)している。
Cf.「終わらない夜の始まりだ」
『極限BLOOD(アンリミテッドブラッド)』冒頭アヤト台詞
あれ、夜が終わってないじゃないか。オープニングテーマのため、ヒロインに対する愛を誓うというより、美味しそうな餌を見つけた吸血鬼との淫らな夜、という雰囲気の楽曲。このアヤトは、夜の終わり=永遠などない、を意識していない。そもそも世界の原則として永遠などないということはわかってるのかもしれないが、この時点の吸血鬼にとってそれはどうでもいいのだ。目の前の女は餌であり終わりがあろうとなかろうと知ったこっちゃないからだ。永遠がないことを知らないのか、終わりを意識してないから適当ぶっこいてるのかどちらかである。
彼らが夜の終わり=永遠などない、を意識するのは、ヒロインへの愛に芽生え「永遠に続いて欲しい」と願った時だ。永遠を願うほど、永遠がないことを意識してしまうのだ。そうなると、彼らにとって朝は愛する女との別れへ一歩一歩近づいていることを思わせるもので、憎むべき対象になる。
だから切ない苦しみから逃れようと吸血鬼達は自分の中に残る愛しさを消したいと願う。『銀の薔薇』でもあったように、その想いは「永遠の呪縛」となり彼らを苦しめるからだ。
お願いだから、時よ、止まって。
以上の思想を根本の主題に据えた楽曲がいくつかある。『銀の薔薇』同様、ヒロインと吸血鬼の人生の長さの違いをテーマに据えた楽曲をいくつか紹介しよう。
冷たい血
無神ルキのキャラソン(というか、なぜかルキくんはかたくなに歌おうとしないので語りなんだけど)。
「髪を梳く度に、甘い言葉だけをかけたい」
「愛してるという言葉を、百年後もかけるから」
「お願いだから、この時よ、停まって」
こんなに愛しい彼女なのに、彼女は(ルキにとっては)近い将来いなくなってしまう。
お願いだから時よ止まって、が悲しすぎる。打ってて泣けてきた…。
「この冷えた血を、温めて――――
血が継がれて、流れているならね
いつか、ひとつになれる
酷い哀しみを、忘れてしまえるように」
ひとつになれる、と言い聞かせるのはひとつになれないことを知っているから。
「もう終わりにしよう?永遠に続く想いなんてどこか可笑しい」
これはルキの諦めの言葉だ。自分の愛は永遠に続いているのに、その愛を向ける相手はもういない。だから「酷い哀しみ」を忘れたくて、永遠の想いなんて否定したいのだ。
Farewell Song
逆巻シュウのキャラソン。
「生きることは、満ち引くこと」。この段落の前でシュウは海と月を見ている(シュウ、歌の中でいつも月見てない?)。生きることは、潮の満ち引きや月の満ち欠けのように、不変ではない、ということだろう。
シュウはヒロインへの気持ちを呟く。
「愛してた」
過去形なのである。タイトルが別れの歌と言うように、ヒロインとの思い出は「滲んだ」「泡沫の日」であり、「遠のく、記憶」なのだ。「涙だけが溢れていく」シュウは、愛しい苦しみから解放されたくて繰り返す。
「ねえ……消えて……
消えて……消えて……」
ルキの「永遠に続く想いなんてどこか可笑しい」という自分の愛を否定したい気持ちが似通っている。
こうしてみると長男同士ルキとシュウの思想は似ているのかもしれない。
君を愛した証明が何もないなんて言いたくないから
Q.E.D
https://m.youtube.com/watch?v=XWZXBf4SvCU
ヒロインを「ビッチちゃん」などと呼ぶ、ディアラバ随一のエロキャラである逆巻ライト。普段は「A-PA-PA-PA」なテンションである彼だからこそこの歌のギャップ萌が光る。この歌もこれまでの楽曲の思想と同じだ。
血が継がれるという希望を抱きながら身体(なか)へ放つ結晶(あい)とは、おそらくライトがエロキャラなことも手伝って性行為の暗喩ではないかと私は解釈している。しかしライトはこの行為を
意味がない
という。
そんな悲しいこと言うなよ、と言いたくなる。
※吸血鬼と人間の間には子供ができないのか?それとも、子供が生まれたとしてもその子供すら自分より先に老いて死んでいくから…?かなしい。
時が来ればヒロインの身体の細胞は入れ替わる。そして時代が過ぎればヒロインの(と子供ができるなら子供も)時代が入れ替わっていく。そしてライトだけが取り残される。それを「君を愛した証明が何もない」のかもしれない、とライトは言う。そんなことは「言いたくない」というが、その考えが頭にあるからこそ「言いたくない」のである。
彼もわかっているのだ。
「どうせ終わる」「いつか何もかも消える」と。ライトはルキやシュウほど大人ではないのかもしれない。その諦念が頭に浮かぶが、それに抵抗したくて「君を愛した証明」をするのに必死だ。
終わりに
筆者はこれを書いていて涙が止まらない。せめてできるだけ長生きしようと思うし、貧血を治そうと思う。レバーとほうれん草いっぱい食お。なんかいいレシピあったら教えてください。