【『拷問投票』制作日記13】江戸時代の刑罰について。

 みなさん!

 ついに169ページに到達し、あとちょっとで第二章が書き終わります。

 半分くらいまで来た感じです。







 いま僕がとくに興味を持ってるのは、江戸時代の刑罰です。

 意外ですが、近世では懲役刑みたいなものは整っておらず、刑罰のほとんどは追放刑だったみたいです。







 追放刑というのは、立ち入り禁止の区域を定めて、この区域には入ってはいけない、みたいな刑らしいです。

 生活していた地域を追われて無宿となり、更生が難しくなり、犯罪の連鎖を断ち切れず、当時は問題となっていたようですね。







 その中で人足寄場という無宿の更生施設が模索され、これが懲役刑につながっていったということです。

 西欧の法体系を模倣したとは言っても、江戸時代から現代へのつながりもあるようです。








 江戸時代の面白いところは、さまざまな刑種があることですね。

 とくにショッキングなのは、敲という刑罰です。上半身を裸にされ、人目のあるところでべしべし叩かれるというもの。苦痛の顔を晒しものにされる、という、精神的にもキツイ刑罰です。







 死刑にもバラエティがあって、斬首を意味する下手人が基本形なのですが、

 そのほか、斬首したあとに首を晒すという獄門、斬首したあとの遺体を試し切りなどに用いる死罪、棒にくくりつけて槍で刺し殺すという磔など。

 オプションもあって、鋸引きとか、引回しとか。








 応報刑という点では現代よりも徹底していました。放火なら火罪という火あぶりの刑、殺人なら下手人、と。

 殺人罪では、たとえば三人で一人を殺害したようなケースでは、少なくとも一人は死刑にならないとバランスが取れないということで、最初に手を出した人が下手人となったという話です。







 

 江戸時代は、とくに報復感情を重視していたようですね。

 現代では死刑が抑制されるような事例でも、結果責任として死刑が選ばれていました。








 ただ、それは江戸時代の人たちが現代の人たちよりも感情が剥き出しだったということではなく、

 刑事政策的な観点から同害報復の制度でないと法への信頼を維持できない、という現実的な事情があったようです。







 それは、いまの刑法への国民の不信感を思いますと、現代にも言えることです。

 国民の多くは刑罰の慎重な適用に不満を抱いていて、少なからず影響して、立法でも司法実務でも厳罰化が進んでいます。








 日弁連はずっと「死刑廃止」を訴えてきましたが、耳を傾けてもらえません。

 最近は、死刑賛成弁護士なるものも注目されています。





 



 全国犯罪被害者の会は死刑の存続を主張しており、国民も加勢してます。

 このような現状を見ると、20年後くらいに拷問という新たな刑罰が生まれても、べつにおかしくはないような……。








 いや、おかしい😭

 まあ、小説なんだから、いいでしょ。めちゃくちゃ理屈を重ねて書いてますが、現実的かどうかと言われると、うーん……です。