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【日記】安楽死の一案。

 最近、安楽死について議論が盛り上がっているらしいですね。

 ケースバイケースかもしれないけど、苦しんでる人を生かし続けることが倫理的に許容されるのか、というのは、たしかに難しい問題です。






 個人的にも、必要だな、と感じています。僕は80歳で死ぬ想定で生きているので、それまでに安楽死制度が整っていれば、

 そのときにはなにかしら病気にはなってるだろうから、それを理由に制度を利用して、人生を終えたいです。若い世代にうっとうしがられるのも嫌だし。







 ところで、安楽死について議論がおこなわれると、多くの場合、人生の出口の問題になりますが、

 人生の入り口にも、必要なのではないか、と感じています。







 自分の意思で生まれてきたわけではない子供たちが、このまま生き続けるかどうか、それを自分で選択する権利を与えるべきではないか、と。

 つまり、子供たちの安楽死の問題です。

 僕は、子供たちが望まずに生まれ、この世界で苦しみ続けることに、常々、倫理的な問題を感じます。







 おそらく、こういう感覚はまだ現代には浸透してなくて、最近、ネットを通して、こういう声が上がり始めているので、これからだんだん広がっていくものと思います。

 いままではそこに倫理的な問題なんて発見もできなかったし、むしろ、「子供は産まされている」などと言ったら、激しい反発を受け、正論でぼこぼこにされたでしょうし、国語の教科書でも「子供は自分で生まれてきた」みたいな価値観を広めようとしていました。

 ここ最近、その流れが少しずつ変わってきているのを感じますね。







 それで、僕は、成人になるのに合わせて、安楽死をするかどうか選択できる制度があってもいいんじゃないか、と、さっき思いつきました。

 つまり、生まれてから成人になるまでは人生のお試し期間。

 その18年の間にいろいろな経験をするわけですが、その経験を振り返り、このまま生きるか、それとも死ぬか、そこではじめて自分で選ぶのです。

 こうすれば、子供が自分の意思に反して生まれてきてしまった矛盾した状況が解消されます。出産に伴う倫理的な問題も減ることでしょう。







 そして、なにより、この制度をつくれば、社会が子供たちに媚びるようになります。

 もともと選挙権を持たない子供たちの声は政治に反映されにくく、支援と言っても多くの場合は子供を持つ「家庭」や「親」に対するものが大半です。

 しかし、子供が成人とともに安楽死することが可能になると、労働人口を減らしたくない社会は、全力で子供たちを支援し始めます。







 子供に頭を下げ、楽しい思い出をつくらせ、わがままにとことん付き合います。

 もしも、傷つけたりなんかすると、その子供はおそらく成人のときに安楽死を選択するでしょう。
 
 子供は自分で生きるかどうか選べるようになり、社会は子供たちの存在を思い出し、一石二鳥。






 

 もちろん、半分は、小説のアイディアとして考えているだけなんですが、

 本当にそういう制度があってもいいかな、とわりと本気で思います。







 だって、苦しんでる子がその苦しみから抜け出そうとしたら、

 現在のところ、自殺幇助は犯罪なので、ひとりで自殺するしかないんですが、それはあまりに悲惨です。いつのまにか生まれていて、激しい苦痛に苛まれ、その中で自分で自分を殺すしかない、なんて、地獄すぎます。

 かわいそう……。そういう子がたくさんいるということを思い出すと鬱になってしまうので、できるだけ考えないようにしてますけど、ときどき思い出します。