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【日記】ミュージカル『キャッツ』を観に行ってきた感想。

 3月6日に24歳になり、四半世紀に王手をかけた山本清流は、

 同日、名古屋四季劇場で好評上演中のミュージカル『キャッツ』を観劇するため、名古屋の地に踏み込んだ。






 電車を降りたときから人の波に揉まれ、四季劇場に到着したときには、すでに疲れていた。

 会場にはぐるりに黄金に輝くゴミが積まれており、テーマパークのようで、ワクワクした。

 僕の座席は一階の5列目の真ん中あたりだった。






 誕生日に『キャッツ』を選んだのには、とくに理由はない。

 中学の修学旅行のときに東京で『ライオンキング』を観劇して感動したこともあり、劇団四季のほかの作品も観たいなと思って、調べたところ、電車で二十分くらいの名古屋で、ちょうど『キャッツ』をやっていたので、じゃあ、これにしよう、と決めた。

 どんな作品なのか、知らなかった。






 さあ、なにが始まるのか。

 ついに開演するとのアナウンスが入り、すると、ステージが回転を始めた。

 ゴミで塞がれていたステージが奇妙な音楽とともに姿を現し、かと思うと暗転した。

 宇宙人でも出てきそうな雰囲気の中、暗闇に猫の目が輝き始めた。会場の至る所に黄色い目が出現し、こちらをじっと見つめてくる。

 じわりと鮮やかなライトが灯ると、ステージの中央にうずくまった猫が現れた。

 しなやかに威嚇するように起き上がり、乱れのない動きで美しく立ち上がると、音楽が最高潮に達し、決めポーズが残像を残して、暗転した。

 なんと美しい、というのが第一印象だった。






 それからは次々と猫が現れ、自己紹介をするように一匹ずつ歌と踊りを披露していく。

 オーブンの中から現れたおばさん猫は、ゴキブリやネズミとともに優雅に楽しく踊った。太った政治好きの猫や、ドロボウカップル猫なども現れた。猫のメイクと全身タイツの見た目が面白い。どの猫も動きが本当に猫なので、感心してしまった。ステージの上からデカい靴が落ちてきて、猫たちが音に反応してじっと見つめるところなんかは、猫らしさを際立たせる優れた演出だった。

 ラムタムタガーというプレイボーイ猫が出てきたあたりから、僕は気がついていた。この作品、ストーリーがないのだな。







 僕の頭には『ライオンキング』のイメージがあったので、『キャッツ』も同じように、しっかりとしたストーリーがあるのだな、と思い込んでいた。

 しかし、そういう作品ではないらしい。






 

 次々と出てくる猫たちのパフォーマンスをショーとして楽しむものなのだ。

 そうと気づいたのだけど、実は、僕は歌を呑み込むのに時間のかかる人間であった。セカオワが好きだが、セカオワにしても、新曲を一度聴いただけでは、何を言ってるのか、わからない。

 三回くらい聴いてみて、やっと意味がわかってくる。そんな感じの人なので、

 気持ちを切り替えて、『キャッツ』を楽しもうとしてみたが、次から次に出てくる歌がどういう歌なのか、よくわからず、モヤモヤしながら観ていくことになってしまった。






 それで上演が終わったころには、なんか、もったいないことをしたな、という気持ちになり、しかも帰りの道では人が多すぎて、どっと疲れが出てきた。

 不機嫌になった山本清流は、早く自室に篭りたくなってしまったのだった。

 しかし、面白くなかったわけではなかった。冒頭をはじめ、印象に残るシーンが多く、歌の一部が浮かんできたり、映像的な美しさが頭の中で蘇ったりした。






 これはそう、思っていたのと違うものに出会ったときの、対応に困った感じである。ホラー映画を観に行ったつもりだったのに、恋愛映画を観てしまったのと同じだ。それが傑作だとしても、僕のほうはまだ、それを傑作として楽しむ準備が整っていなかった。

 だから、もったいなかった。






 僕はさらに2週間後くらいに『キャッツ』のチケットをとり、今度は準備を万端にして、観にいくことにした。

 ユーチューブで公式チャンネルの紹介動画を視聴し、猫たちの名前を覚えた。Amazonプライムビデオで映画版『キャッツ』を視聴し、作品への理解を深めた。また、『キャッツ』のアルバムを購入し、それぞれの曲がどんな曲なのか、しっかりと脳に染み込ませた。ついでにノーベル賞作家エリオットの原作を書い、『キャッツ』のメッセージや、詩集としての全体構造を把握した。

 このような準備の中で、一度目に観たときの記憶が鮮やかに甦り、この作品の濃さ、深さがよくわかってきた。理解が進むと、単純に、パフォーマンスを楽しむ余裕も出てくる。

 こうして準備を整えた僕は、3月末、ふたたび名古屋に参上し、名古屋四季劇場に姿を現した。






 

 そして、『キャッツ』を猛烈に楽しみ、あまりにも多くのものが詰まっていることに満腹になりながら、上演が終わるのを惜しんで、観劇を終えたのだった。

 僕は岐阜まで電車に揺られながら、現実世界に戻っていくのが嫌になっていた。休憩を含め、あの三時間は、あまりにも素晴らしかった。






 調べてみると、『キャッツ』は5月の半ばで名古屋公演を終え、次は静岡に行ってしまうらしい。おそらく、とうぶん名古屋にはやってこないだろう。せっかくだから、もう一回観にいくことにして、4月27日のチケットを取った。

 僕はとくにスキンブルシャンクスのパートが好きなのだが、どのパートも個性的な魅力があって、順位づけをするわけにはいかない。ストーリーがないぶん、最初から最後までずっとクライマックスである。






 母の日のプレゼントを『キャッツ』に決め、いまのうちに見といたほうがいい、と母を誘った。

 5月にS席をとり、これで僕としては合計で四回、観劇することになる。







 人生の楽しみがひとつ増えてよかった。

 僕は反出生主義者なので、自分の遺伝子をこの世に残す気はまったくないが、この『キャッツ』があるなら、これを見るために、この地獄のような世界に生まれてきてもいいのかもしれない、と、ちょっと思った。

 ちょっと、だけ。

 いや、でも、新たに産むのはかわいそうだから、

 せめて、産まれてきてしまった哀れな子供たちに、見せてあげたい。そうしたら少し救われるかもしれない。





 

 僕は、最近、2000年から2080年くらいまでの歴史を体感するアトラクションに乗っているような気がしている。

 この時代にしか読めない本があり、この時代の文脈でしかわからないお笑いがあり、この時代にしか見れない騒動がある。せっかく生きているなら、『キャッツ』を観ておいたほうがいい、と思う。