【日記】映画『ジョーカー』の感想。3回目の視聴。

 今日は、昼頃、なんとなく『ジョーカー』を観たくなり、Amazonプライムビデオで吹き替え版を観ました。

 ちょっと前にアカデミー賞で主演男優賞を受賞した作品です。観るのはこれが3回目でした。

 その感想を少し。








 ストーリーとしては、なんらかの精神的な疾患を抱えた主人公が、社会の中で孤立し、不満と怒りを膨らませて、人殺しの道に没してしまうというものです。

 主人公には妄想っぽいところがあり、細かい事実関係を確認することなく、身近の人間を悪者にして、一方的に不満を強めていきます。

 おそらく病気ですが、社会からは「病気など存在しない。普通に生きてろ。お前の努力不足だ」と押し付けられています。最終的には、普通に生きることを諦め、これが自分だと受け入れて、自分の目から見た喜劇を素直に楽しみ、心の底から笑うラストシーンにつながります。







 今回で3回目ですが、僕が大人になったせいなのか、見え方がいままでと違いました。

 『人間失格』を繰り返して読んだときに感じるような、これって悲劇なのか? 喜劇なのか? みたいな多重性があることに気付いたのです。今回は、僕の目からは、『ジョーカー』は喜劇に見えました。








 というのも、主人公の周りの人たちが、主人公が思っているほどには、悪い人たちではない、と思えたからです。

 たしかにネガティブになってるときは誰もが悪意と無関心に満ちているように見えてきますが、それは主人公の思い込みです。

 なにも大したことは起こってないのに勝手に傷ついて堕落していく主人公は、まさに喜劇のようです。

 なにやってんだ、こいつ、と不思議に感じる人も多いのではないでしょうか。








 しかし、一方で、この映画を観て、深刻なダメージを受ける人もいると思います。つまり、この作品が悲劇に見えるということ。

 1回目、2回目のときは、僕も、この映画は悲劇だと思えました。

 とくに、コメディー番組で笑いものにされるというのは、かなりしんどいですね。

 あのシーンは僕としてもショックで、けっこう心の傷として残ってました。








 でも、今回、あらためて観てみると、あれはコメディーの一種であって、べつに傷つけるための笑いではないのだ、と思えました。

 あのコメディアンも性格が悪いわけではないということは、舞台裏での主人公への気遣いを見ると、一目瞭然です。

 でも、主人公の目からは、そうは見えないんですね。それもわかります。

 そんな気遣い、表向きのもんだろ、と思ってしまうのでしょう。

 僕もどちらかといえば主人公よりの感覚の持ち主で、世間的な笑いにはあまり共感できない人です。最近は、『水曜日のダウンタウン』とか、『月曜から夜更かし』も楽しめるようになったのですが、ああいう下品で過激な笑いは、子供のときは苦手でした。というか、もう、トラウマと言ってもいいくらいに嫌いでした。なんで、こんなに酷いことをして面白がれるんだろう、と。


 それは感覚の違いなんですね。

 主人公が周りに合わせて笑ってるシーンがありましたが、あのシーンからしても、この主人公は、世間の人たちの笑いを理解できてないんですね、たぶん。なんで面白いのかわかってないけど、「ふつうになるために」世間の笑いを一生懸命に勉強してたんです。









 でも、主人公にとって本当に面白いことは、それではなかった。

 結果的には、世間をバックにして威張ってる人が無様に殺されることが、心の底から面白いと思ってしまった。それが主人公にとっての「異質な笑い」だったのではないでしょうか。

 そして、その笑いに世間の人たちが嫌悪感を抱くように、主人公も世間の人たちの笑いに嫌悪感を拭いきれなかったのでしょう。

 その主人公の姿は、世間の普通の人からすると、あんた、なんで苦しんでるわけ? 何やってんの、という喜劇に見えるというわけで。今回の僕には、喜劇に見えました。








 感想はそんな感じ。

 この映画は、人によって、時によって、見え方が変わってくる映画だと思いました。









 そういう作品って、何度観ても発見があったりするから面白いですね🤣

 暴力を助長する映画だとして批判もあるようですが、よく観ると、いろんな解釈ができる作品になっていて、ぜんぜん暴力を正当化してるわけでもないと思います。








 この映画に触発されたかのような殺人事件は、いろいろ起きてるみたいですが。

 それは許してはいけないことですが、彼らが『ジョーカー』を悲劇だと思って共感してしまったのはなぜなのか。

 それは、世間の人たちの感覚ではわからないことであるのかも。お互いに嫌悪しあってるだけの平行線がこれからも、たぶん、続いていくのでしょう。

 それが人間社会。残念だけど。

 あえて欲を言うなら、お互いに共存できるように、感覚の違う人を自分たちと同じ人に成長させようとするのではなく、違うままで許してあげれたら、救われる人も多いのにな、と思ってしまう山本清流です。








 乱文、失礼しました。

 読んでいただき、ありがとうございました。