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【ショートショート】バランスの神


 平等でなければいけない。
 道徳の時間にそう教わったことを僕は真に受けていたので、すべての人に対して平等に接するように心がけてきた。うっかり挨拶を無視してしまったときは、ちゃんと平等になるように、その日ずっと誰にも挨拶しなかったし、友達と喧嘩になったときには、喧嘩をしていない相手がいないように、すべての人を敵に回した。僕は器用ではないから、特定の人を贔屓できないだけかもしれない。
 バランスが崩れたときは、その乱れを修正することが大事だ。
 体育の時間、無駄な運動をしたくなかった僕は見学していたのだが、厄介なことに、先生から、走り幅跳びの記録を測定する役割を押し付けられた。跳べた距離を競って、なにか、いいことがあるのだろうか。スタントマンになるわけではないのだから、はっきり言って無駄だった。僕はやる気にならず、同級生たちのジャンプする瞬間のくしゃくしゃの顔を心の中で笑いながら、適当に記録を測っていった。
 クラスの半分くらいが跳び終えたとき、ついに、彼女の番が来た。
 僕は彼女のことが好きだった。性格の悪い僕はみんなから嫌われていたが、彼女はとても優しく接してくれた。教室の中でぼうっとしていると「魂、抜けてるよ」と教えてくれたし、なにをやるにも適当にやっている僕に先生が癇癪を起こしたときには、先生と僕の間に入って、興奮した先生を宥めてくれた。
 ということで、僕は、彼女の跳んだ距離を測ったあと、その実際の記録にプラス二十センチのおまけを与えることにした。
「うそ、そんな跳んだ?」
 彼女はびっくりしながら、喜んでいた。なんて、いいことをしたのだろう。僕は慈善団体に募金したような心地になった。そのとき、ふと気が付いた。彼女を贔屓してしまっているのではないか。
 僕の頭に、平等でなければいけない、という命令が響きだした。
 これでは平等ではない。
 だから、彼女に与えてしまったプラス二十センチのぶん、次の人から引いていくことにした。一気に二十センチを引くのは平等ではないから、みんなが平等になるように、残りの二十人から、ひとり一センチずつ引いていけばいい。僕はそう考えて、次の人から、実際の記録より一センチ短くして、先生に申告した。
 その中、ついに、あいつの番がやってきた。いじめとは言えないまでも、かなり過激ないじりをしてくるヤツだ。僕は彼につきまとわれ、少なくとも二回は、ズボンを脱がされているのだ。
 平等じゃない、と思った。なんで、僕だけ、彼に、パンツの柄を見せなくてはいけないのか。あいつのパンツも僕に見せてくれなければ平等ではないはずだ。とはいえ、僕は彼のパンツには一切興味がないし、他人のパンツを見たところでお金がもらえるわけでもなかった。
 ということで、僕は怒りに任せて、彼の実際の記録から三十センチを引くことにした。本当は一メートルくらい引いてもいいのだが、それではバレてしまうので、ぎりぎりのところを狙ったのだ。「え? なんで?」と彼は困惑していた。ざまあみろ。よい気分になっていると、なんだか、みんながざわざわとし始めた。
 先生まで、なにか不服な顔をしていて、僕のほうを見つめている。僕がぽかんとした顔を浮かべていると、先生が威圧するように近づいてきて、僕を見下ろした。
「お前、ちゃんと測ってるのか?」
「はい」
「嘘だろ」
「はい」
 僕は、素直すぎた。先生は腕を組んで、睨むような顔をした。うわあ、嫌だな、この人、怒ると面倒くさいんだよなぁ、と心の中で嘆いていると、彼女が現れた。
「先生。そんなに怒るほどのことですか」
 いまさっき僕が二十センチのプレゼントをあげた彼女が、先生と僕の間に割って入り、勇敢にも先生を見上げていた。これだから好きなのだ。もしかして両想いかも、と一瞬だけ思った。
 困惑の表情を浮かべる先生に、彼女は続けて言った。
「社会って、本当は、そういうもんじゃないですか? 学校にずっといるから、先生は気づかないのかもしれないですけど、人間が人間を評価して、社会は成り立ってるんですよ。わかります? わかりませんか? じゃあ、教えてさしあげますけど、三メートルが二メートルに縮んだり、二メートルが二メートル五十センチに伸びたりするのが社会なんです。それをみんなに学んでもらうために、あえて、こういう測り方をしたんですよ、彼は」
 先生は、納得がいかないかのように眉間に皺を寄せながら、こっちを見た。
「そうなのか?」
「はい」
 僕は、大きくうなずいた。
 それでも、先生は、腕を組んだままだ。
 だったら、跳んでみろ、と思った。先生が五メートル跳んだとしても、僕は、先生が五メートルも跳ぶことができたなどとは認めてやらない。先生が五メートルも跳んでしまったら、平等じゃなくなる。二メートルくらいは差し引いて、そのぶんを彼女にプレゼントするのだ。
 それでやっと、バランスが保たれる。