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【人類滅亡論】アダムとイヴの罪とは何か。

 こんにちは、山本清流です。


 今回から、僕が唱えている「人類は滅亡すべきである」という仮説を、いろいろな角度から検証してみようと思います。

 便宜的に「人類滅亡論」と呼ぶことにしますが、これは「子供を産まない選択をする人を増やしていくことで、人口を減少させ、やがて人類を絶滅させるのが、人類の幸福につながるのではないか」という考え方です。

 あくまで個人の考えであり、また政治的な主張をする意図もありません。

 洗脳されないように気をつけてください。






 あと一応言っておきますが、僕は小説を書いたり読んだり、チェスしたり、ミュージカル鑑賞したり、好きなことをやって人生を楽しんでいるところであり、

 なにか病んでいるわけではありません。

 ただ、残念ながら、世の中にはそうじゃないケースの人も多く、

 果たして人類は繁殖すべきなのか、ということを、常識や日常感覚から離れて、哲学的に考えてみたいのです。






 今回は、「アダムとイヴの罪」というテーマで考えてみたいと思います。






 かつて、アダムとイヴという男女がいました。ふたりは楽しく幸せに生活していましたが、禁断の果実を食べ、楽園を追放され、苦しみに満ちた生活に変わってしまった、とさ。

 ストーリーラインはそんな感じかと思います。調べてみたら、本当はもっと難しそうなのですが、大事なのは細かいところでありません。

 詳しい人から怒られそうですが、ここは勇気を持って、省略。






 この物語には隠喩が含まれており、それが的を得ているからこそ、語り継がれてきたのだと思います。

 キリスト教では、「原罪」と言われるそうですね。

 アダムとイヴが犯した罪とはなんだったのか。僕には、生殖だと思えます。死ぬ身体になること、遺伝子を遺すために子供をつくらなければいけなくなること、つまり、「生殖」が罪だと暗に指摘し、それが人々の心に響いたのではないでしょうか。







 なぜ、生殖が罪なのか。

 生殖はアダムとイヴの快感を求める欲望によって行われ、自ら選択することができない新たな命を生み出してしまいます。

 子供が欲しい、けど、その子供はこの世の苦しみを味わうことになる、どうしよう、という感覚はおそらく誰にでもあり、

 その罪悪感に、アダムとイヴの物語は寄り添っているのではないでしょうか。







 快感を求めることは、人間として当然のことだと思います。大変なことをやろうとしている人がいても、全体から俯瞰すれば、結局は、自分が楽になるための道を選択しているに過ぎない場合が多いです。

 そもそも、人間はそういうものであり、それでいいのです。

 将来、楽をするために勉強をするのだし、女性にモテるためにお金を稼ぎます。人望を集め、満足したいから、社会に貢献しようとします。そういうものです。






 子供をつくるということも、その一種です。

 子供がいると楽しい生活になるのではないか、一人前に育てて社会に貢献させたい、というように、自分たちの快感のために子供をつくろうとします。







 僕は禁欲主義者ではないので、快感に流れることは当然のことであり、それが普通の生き方だ、と思っていました。

 大学では経済学を学び、人々が快感にしたがって動くことで社会がうまく回ることを知り、その価値観は強まりました。







 しかし、もちろん、快感のためになんでもしていい、ということはありません。

 自分たちが満足するぶんにはいいですが、他者が関わってくると話が変わってきます。

 公共の場でセックスしていたら迷惑ですし、ナイフで人を刺し殺すのも迷惑です。そのため、社会は時に道徳をつくり、時に法律をつくり、快感のままに動かないように一定の制限を設けてきました。







 その中、他者が関わってくるにもかかわらず制限のない行為があります。

 それが生殖です。






 生殖では子供ができてしまいますが、それはつまり、子供という他者が、その行為によって迷惑を被る可能性がある、ということです。

 そして、この世を生きてきた人間の多くは、この世の中が苦しみに満ちていることを知っていますし、もちろん楽しみもあるけれど、運が悪ければずっと地獄の可能性もある、ということを知っています。







 知った上で、子供をつくろうとします。

 きっと幸せな人生を送ってくれる、しっかり教育して立派な大人にしてやる、と心の中で言い訳をしながら、この矛盾から目を逸らそうとしているのではないでしょうか。

 自分たちの幸せのために、不幸になる命を生み出してしまっているのではないか、ということを考えないようにしているのではないでしょうか。







 この罪悪感から逃げているのではないでしょうか。

 そして、その無意識の罪悪感は、アダムとイヴの物語によって丁寧に掬いあげられているのではないでしょうか。







 快感のままに突き進んできた結果、人類は増え続け、繁殖してきました。

 これは正しいのでしょうか。








 人を殺すことは制限されています。迷惑だからです。

 では、子供をつくって繁殖することは、子供たちにとって迷惑ではないのでしょうか。







 法律や道徳によって制限することができないのは、誰も守れないからです。いや、多くの人は守れないからです。

 アダムとイヴの罪から解放されるためには、生殖をやめ、

 ある意味、新たな命たちが、生きていない、という意味で永遠の幸せを手に入れられる状態を生み出すことなのではないか。

 僕はそう考えました。







 まだ考えが浅いですね。

 今後、もっと掘り下げていきたいと思います。