【日記】憤るにはどうすればいいのか?

 いまさっき、朝の情報番組で全仏オープンでの失格騒動が報じられていて、出てきた専門家が「抗議をしたプレーヤーはスポーツマンシップに欠けていて、憤りを覚える」と表明していました。

 僕は、この憤りに対して、ある種の憤りを覚えました。






 というのは、その番組では抗議したプレーヤー側の主張も流れていて、僕はそれにも一理あると思ったからです。

 その専門家が憤るほどに善悪を確信していることにまずは納得ができず、続いて、僕の善悪の感覚がおかしいと間接的に批判されている気がして、さらに頭に来ました。






 そのあと、他のコメンテーターが理屈立てて、そのプレーヤーがいかにスポーツマンシップに欠けているかについて解説してくれましたが、僕はそれに納得してしまい、

 僕の頭が悪いだけだと否定されている気がして、さらに頭に血が上り、意識的に自分を鎮めなければいけなくなりました。






 元を辿れば、どこの誰かも知らないテニスプレーヤーが悪かろうがよかろうがどうでもいいのですが、

 世間の人たちの憤りについていけないことは、僕にとって小さな問題ではありません。






 善悪を判定し、一方に対して憤ることができるというのが、僕はとても羨ましいのです。

 僕は、どっちに対して憤ったらいいのか、わからないことが多く、そのことに世間の人たちと壁を感じます。

 そして、やつあたりですが、僕は世間に対して憤ってしまう。








 しかし、最近は、なんとなく快方に向かってきています。

 たとえば、悪質な殺人事件などがテレビで報じられれば、みんな、憤ることに、僕は気がつきました。

 だから、殺人事件があるたびに、僕も頭の中で、これは許せないな、と呪文のように唱えて、世間の人たちと同じ憤りを感じていることに果てしなく満足を感じるのです。そして、YouTubeのコメント欄などを見て、答え合わせをして、僕の憤りは間違っていなかったことを確認し、しめしめとなります。







 あと5年くらいすれば、ちゃんと的確に憤れるようになりそうです。

 引き続き、僕は、世間の憤り方を勉強していきます!