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振り返りたくなくても、年は終わる

今日が12/31だなんて信じられない。もう、そこまで2024年は来ている。しかし寝るまでは12/31だ! と思いながら3時間ほど経過して、やっと投稿画面を開いている状況に、なんだかもう全てを投げ出したい気分だ。

2023年は、とかく我が身の不自由さと向き合った1年だった。それは最後の最後まで変わることはなく、どうしようもない倦怠感に襲われている。明日は今日の続きだと思うと、やるせない。

自由とは何か、なんて40を過ぎた人が考え込むのは馬鹿らしいかもしれないが、手に入れたかに思えた自由が、とんでもない不自由を連れてくることを知るのは、若くない年になった証拠だ。今のところ、振り返るのもためらわれる2023年だけれど、寝たら終わりだ。せめて寝るまでに、来年への足掛かりを残しておこう。長いですが、お暇があれば、以下お付き合いください。


社畜が転生した異世界はブラックだった

思い返せば2022年は大きな転機で、痛いコースどりをしたのだと思う。転職1年目、俗に「ブラック」と呼ばれる業界からジョブチェンジをしたはずだった。しかしすぐに間違いに気づいたのは、ジョブどころか、異世界に飛んでいたらしいこと。わたしが開けた扉は、昭和や平成初期のお仕事ドラマのような光景が広がるクラシカル・保守的な世界につながっていた。2年目にあたる2023年は、どうにか溶け込もうと必死のパッチ。しかしその代償は大きかった。すべては書ききれないが、いくつか「ヤバい」状況を書いておこう。

自宅のカレンダーが5月から変わっていない

気づけば、部屋の壁かけカレンダーを切り取るのを忘れている。5月から変わっていない。せっかく、うさぎ年にちなんだ童話の版画を集めたカレンダーだったのに。わたしの身長が低いせいもあるが、踏み台を持ってきて切るという儀式に至るまでの余裕がない。事あるごとに「あ~忘れてる」とは思うのだが、そのたびに忘れてしまい、先ほどいよいよ進退窮まる事態に。1時間ずつ眺めても終わらないじゃないか。

卓上カレンダーも10月で更新が終わっている

壁掛けカレンダーだって、今日気づいたわけではない。むしろ夏ごろには「手間がかかるのがよくないんだ」と思って、ここ1年ほど目の保養にしている某コンテンツの卓上カレンダーを買ってみた。毎朝化粧をするブースに置いておけば良いだろうと。しかし、そんな卓上カレンダーも、10月でめくるのを忘れていた。なんでだろう。

正月に荷造り中の発送用段ボールが、そのまま置かれている

「この続きはあとで書く」という旅行記メモを20年ぶりに発見してしまうような人なので(そしてその後、書いていなかったのは明白)、怠惰なことは自分でもわかっている。が、これはさすがに、人としてどうかと思う。

物心ついてから初めて、あらゆる文化的なものに受動的になる

読んだ本もある。観た映画もある。ゲームも少しだけやった。舞台も、少しだけ。が、能動的にカルチャーに接する機会が少なすぎた。そんなことは今までなかったと思う。物理的な時間が取れないのと、時間が少しでもあれば寝落ちしていたようだ。その結果、体力は温存できたのだが、心がすさんでしまったらしい。

貴重な有給休暇が、通院とボディメンテナンスで消化されていく

勤務先は、隔週が週休2日制なので、全部の土曜日を休もうとすると有給休暇がどんどん減っていく。わたしは定期的に通院しているので、その分も考慮しなくてはならない。さらに今年は同居の親が入院したことも重なって、有給休暇の残数は風前の灯火だ。遊びに行ってるわけじゃないのに……。
別のところでも書いているが、わたしは今複数の科で定期的な通院と毎日の服薬をしていて、「日常生活」を維持している。冷静に考えてみると、その状況で「普通に働けますよ」と医者が言っているのは、今の自分の働き方ではないのだろうと思う。

日本語を教えて、自分の「表象文化論」的なコアを思い知った

こんなにダメな日常を送っていても、続いたことがある。それは外国の人に日本語を教える活動だ。学びながらだけど、充実している。が、自分は「先生」になりたいわけではなくて、文化背景の違う人とカルチャーの話をするのが癖になっているし、やめられないということらしい。結局のところ、ルーツに戻っていくのだろうか。いきなり仕事をやめて大学院に行くようなことはできないので、まずは通信制の学部生から始めてみようと思っている。(誰とも約束はしていない)

15の春から数えて初めて、自然に友人を家に呼べた

思えば5月は、母親が突然に心筋梗塞で倒れて入院したのだった。それはちょうど、我が家に食材が届く日だったので、実務的にも途方に暮れていた。母は料理をするが、転職してからというもの、わたしは全然料理ができていない。食材が無駄に滅びるのを見るのは嫌だった。
そこで家で料理をしている友人に声をかけた。最寄り駅からは近い場所にあるが、そもそも最寄り駅が不便な場所なので申し訳ないと思いつつ、自宅まで来てもらった。遠くて申し訳ないこと以外は自然な流れだったので途中まで気づかなかったが、わたしが友人に家まで来てもらったのは、中学の友人以来だった。おそらく23年ぐらいか。その理由は色々とあるものの、大きな危機を前にすると、案外と柔軟になれることに人間の可能性を見た。

自分の故郷はライブかもしれない、本気で思った

某アーティストのライブに約20年ぶりに行った。ライブが幕を開けた瞬間、初めて彼らのライブに行ったことがオーバーラップして、不思議な感情が芽生えた。それは巨大な懐かしさ。無性に「ただいま!」と口に出したくなった。(帰ってきたんだ……!)というだけで、なにかに包まれているような安心感。それは、故郷に帰ってきた感覚以外の何者でもないと思う。横浜出身とはいえ、東京に出てきたのも家の事情だったので、わたしには故郷がない。だから初めての体験だった。
この場所に行ってみようと思ったきっかけは、いろいろある。今思えば、母親が倒れたことや友人を家に招くことができた体験も、ひとつの契機だった。心の重石を取り除くと気持ちがいいことを覚えたのだと思う。全身で摩耗して、重石を支える力が限界を超えたのと、ちょうどいいタイミングだった。

さいごに

結局のところ、2024年に早めにやることが絞れてきた

  • 掃除

  • さらなるジョブチェンジ

すべてはここからだ。押忍。というわけで、まずは寝てこよう。来年もよろしくお願いいたします。

#今年のふり返り

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