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「オタクじゃないけどスラダンは好きだったから観てみようかな」と思うロスジェネのための手引書

『THE FIRST SLAM DANK』について、前半はタイトルの通り。後半は、批評する人は反面教師にしてほしい、批評の所作について(ネタバレ多数)。とにかく前半は「自分はガチ勢じゃない&連載終了時に10代&原作もアニメも好きだった&連載終了後の読切、あれの続きなの?」って人にお伝えしたい。何を隠そう、わたし自身、そんなロスジェネの不惑です。だからこそ、あなたには同じ思いをしてほしくない。

どうか、『ピアス』の設定などは、忘れて観ていただきたい。記憶喪失になってるぐらいがちょうどいい。じゃないと、混乱して作品に入り込めないと思う。自分が10代だった頃の多感さを侮ってはいけない。意外と、いろんな想い出と一緒に心に刺さっているものだから。

ロスジェネ、現在の初老においては大多数が「自分はオタクじゃない」って言う世代だ。今の若い人には信じられないかもしれないけど、中高生の頃はマンガにも「イケてる/イケてない」歴然とした線引きがあって、少なくとも『スラムダンク』は「オタクじゃなくても読むマンガ」だった。

おそらく「予告編見たけど”ジャイアン”では?」という方々の多くは、声優オタクではなくて、子どもと一緒に新生ドラえもんを楽しんでいる。

そんな方々は、ぜひ思い出してほしい。小学校の頃、大人からから散々言われなかっただろうか?「鬼太郎の声って違うんじゃない?」と。あれと同じです。むしろ子どもがいなければ”ジャイアン”だと分からないと思う。

『るろうに剣心』の剣心だって、CDドラマ時代の緒方恵美から涼風真世に代わりOVAを経て幾星霜……OVAって何?って思った方も、今や佐藤健で違和感ないですよね。あぁすみません、ちょっとオタクっぽい話になってしまった。

そうは言っても、観るまで気にならなかったと言えば噓になる。ドキドキする気持ちはわかる。でも、そもそも声優は芝居をしているわけで、キャラがあっての声優なので問題ない。大丈夫だから。『ピアス』のことは忘れて、ぜひ劇場に! ここまでしつこく言うのは、観ればわかります。キレる前に、観よう。

むしろ、鬼太郎の場合は”目玉おやじ”の声が変わらなかったので、我々の親は変な指摘をしたのかもしれない。

次の段落からは批評の所作、その難しさについて。もうさすがにネタバレしないと無理な話なので、残りの文章は、割と突っ込んでます。

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さて、ここからは批評について。初見で出来なかったことを白状していく。わたしは基本的にフラットに観ることを心掛けている。批評に「わたしの作品愛」は不要だと考えているからだ。

どんな作品でも、自分はどういう距離が保てるのか、きちんと判断しておく必要がある。しかし、初見ではできなかった。

わたしは、この文章の冒頭で話したような人間。いわゆる「ガチ勢」ではない。ただ、初見の際に普通の人ではないことに気づいておくべきだった。

何を隠そう、「第一部が終わった」少し後、不意に目にした読切の『ピアス』に「なにかが始まる」と心臓が高鳴ってしまった一人なのだ。それは、作品に対する期待だけではない。むしろ「第二部始まったら、バスケ部のあの人はなんて言うだろう」と想像していたことによる(究極の個人的な事情ですが、当時、バスケ部の人に恋患いをしていまして……)。これは、明らかに普通の状態ではない。

ここで公式の見解は置いておくとして、『ピアス』はその後単行本に収録されることもないパイロット版のような作品だ。今回の映画は、ほとんどの人は知らない前提で作られている。それなのに、わたしの脳裏には鮮やかに焼き付いていて、時が止まっていたのだ。

そもそも、自分の育った環境が、あまりにも作品世界と近いことに気づくべきだった。

わたしは90年代、湘南に近い横浜で県営団地に住んでいた。中学・高校は地元の公立。団地は、映画でリョータが移り住んだのとは違うタイプだったし、あちらは公団のような気がするけど。とにかく現実とのリンクが多い。

学校外の友人は作品のモデルとされているいくつかの高校に通っていたけど、当時は「まぁ舞台だからね……」ぐらいにしか思っていなかった。いざ本作を観てみると、あのどうしようもない地域性と時代の雰囲気が滲み出ている。

例えば、鉄色の砂浜を沖縄の砂浜との対比。閉塞感があるのに、なぜか外からはキラキラと見えるらしいので、そこに合わせてしまう感じ。そうは言いながらも、実際のところ、浜風に吹かれて生きている部分も持ち合わせている。あの蹉跌入りの暗い色の砂浜には、そういう人が集まる磁場がある。

90年代と言えば、バブルの残り香だったのか、そんなに裕福ではない家でもミニバスやサッカー、ピアノを習ったりしていた。堅実なタイプでなくても、ボーナスでホームビデオカメラを買っている家もあった。宮城家も、父親が健在の頃は、それなりに羽振りも良かったんだろうなと思うと、寂しくなった。わたしに子どもはいないが、きっと当時と違って大人の心情が胸に迫る。いまこそ、あの年代が観るべき映画だ。90年代~Y2Kのカルチャーがハッピーに仕立てられがちな昨今、きちんと描いているところが偉い。

いくつかクエスチョンもある。しかし、もう一度観てみないと埒が明かない。なぜなら、通常モードで観ることが叶わなかったからだ。蓮實重彦から遠く離れて、まだ遠い。

最後に超個人的な話をすると、中学時代、わたしは一時期、コンビニでたむろする「いつまでも更生しない三井」みたいな18歳に惹かれていた。昔はバスケ部で、高校はすでにやめていた。ブリーチした髪色を除けば、見た目は三井である。しばらくすると行方知れずになってそれきりで、どうということはなかったが。そんなことまで思い出していた。

つまりは、まったく通常モードで観れていない。自分がどのような立ち位置で作品に触れるのか。そんな基本も見えていなかった。観た直後は、先述した通りクエスチョンが頭をもたげたが、同時にクエスチョンにも違和感があった。1日考えて、たどり着いたら歴史修正者のように振る舞っている。自分でも滑稽だと思うが、これが噓偽りのない答えである。

それほど大きい存在なのだと結ぶこともできるが、そんなことをするぐらいなら、2回目を観たほうがいい。観ます。



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