過ぎる時間と止まる時間の話

10年以上振りに祖母に会った。
離婚で離れ離れになった父方の、血の繋がった祖母。
7年前に亡くなった祖父の墓参りのため、母と。今さらすぎるけど。
母は離婚以来20年振りの再会だとか。

久しぶりに祖母の家の前に行くと、僕が20年以上前に遊んでいた庭はセイタカアワダチソウで鬱蒼としていて、
ああもう手付かずなんだな、と、祖母に対面する前から悲しくなった。

祖母は着実に老いていた。
それでも二本足で綺麗な姿勢で立っていて、一旦ホッとした気がする。

わざわざ僕らのためにLサイズの宅配ピザを用意してくれていたようで、
先日こじらせた胃腸炎を隠しつつ平らげた。
コーヒーを注ぐ祖母の手がプルプル震えるから危なっかしいなと思っていたら、ポットからジョボジョボと机にコーヒーが零れたので、また悲しくなった。
幼少の頃の祖母はもっと快活で、泰然とした祖母だった。確かに時間は流れているんだなあ。

母と祖母はもう見てられないくらい気まずそうだった。
20年前とはいえ、離婚したんだもんなあ。
ずっと解消し得ない何か大人の事情らしきものがあることは、大人になった今じゃ痛いほど理解できた。
ただ、そうやって消えないのは、僕が確かにその祖父母家で可愛がられてしょうがなかった、ってのも同じかもな、と。
ピザを食べるテーブルで、僕のためにみんなが七並べや神経衰弱をよくやっていたのを思い出しながら。

僕があたかも愛の証であったような両親が別れて、一生癒えない傷が残ったけど
それまで僕に、父や祖父母からたくさんの愛情が注がれていたという事実で、心が温まるものなんだな、と感じられるようにいつの間にか成長していたよう。
何かを得るから喪失を味わうわけで、何も得なければ喪失も起き得ないわけで、ならば喪失を味わうことのないよう何も得ないという論調もあるわけで。でもまさにその瞬間初めて気づいたこととして、喪失は、まさに失くしたはずの愛情で多少癒せるようなのだから、都合いいなとも、奇遇だなとも、矛盾だなとも思った。

だから少しずつ昔の話をした。
祖父母家に泊まるときは、はなれの部屋で蚊帳を張って寝ていた話。
庭に未だ残っていたホオズキを、小さいころにも祖母に見せてもらって、面白い植物だと教えてもらったときの話。
コーヒーの入ったマグカップはプーさんのイラストのもので、必ず僕がそのマグカップを使っていた話。
今はブラックだけど、昔は砂糖と牛乳を大量に入れていた話。
少しずつ祖母の固かった表情が崩れていって、嬉しかった。
何個も世代を隔てた人と、記憶の断片を通じて、10年でかけ離れてしまっていた心がまた近寄り始める感覚。
赤ちゃんの頃から顔が全く変わらないね、と祖母が教えてくれる記憶の断片は、僕の知らないものだったけど。

身長を聞かれたから174だと言ったら、うちの誰より大きいねと言うから驚いた。
祖父は幼少の僕には巨人に見えていたから、きっと180くらいだったろうと今までこのかた思っていたのに、どうやら172程度だったそう。
いつの間に僕は巨人になっていたのかしら。

墓参りに向かうべく家を出るとき、玄関のわきに赤ちゃんの頃の僕の写真が飾られているのを見つけた。
ずっとそこに飾られていると知っていた。

10年前に来たときも飾られていた。
それを見つけたとき、隣に別の写真も綺麗な写真立てで飾られていた。
父が僕の知らない女性と、2人の少年と、1人の赤ちゃんと写った家族写真。
父が再婚したのは知っていたし、その写真を見つけたときにはまたすでに離婚していたのも知っていた。
少年たちは女性の連れ子だろう。でも赤ちゃんはきっとこの再婚相手の方との子供だろう。
僕と血の繋がった、顔も名前も知らぬ人が存在しているのはすごく不思議な感覚だった。
それと同時に、大好きだった父に別の家族が居た事実に視覚的に向き合って、10代の僕には正体不明だった感情に飲み込まれた記憶がある。それはたぶん悲しみの類いだったと思う。
以来、10年以上この祖父母家に来られなくなってしまった。
そんな綺麗な写真立ては、僕たちのためか、今回は伏せられていた。それでも、ただの伏せられた写真立てを見ただけで心はざわついてしまった。

墓地は歩いて数分の寺院の中だった。
入口には寺院らしく、掲示板にありがたそうな言葉が貼られていた。
一字一句は覚えてないけど、「変わらないものの尊さ、変わるものの美しさで、景色はできている」的なニュアンスだったと思う。
なるほどなあ。
僕はまさに今日、時間が止まっている事実も、時間が流れている事実も、味わったなと考えながら祖父の墓に線香をあげた。
墓標には、今まで知りもしなかった家のご先祖さまたちのことが記されていた。
「昭和二十年 二十二歳 戦没」と書かれた男性の名前も見つけた。
母と祖母がお参りをする間に年齢を計算して、祖父が17歳のときに5歳上の兄?が亡くなったのか、などと考えていたら、生前のガハガハ笑う祖父の表情を思い出した。

今日僕が味わったのはどんなものだったんだろう。
冷たい温かさ、あるいは悲しい喜びと呼ぶべき気もするし、もっと単純かもしれないし、もっと複雑かもしれない。

ただ、それを考えるためには、この日のことを覚えておかなきゃいけない。
だから書き残したまでの、変な日記。

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