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左脳の創り出した自分像や不安恐怖はただ観るだけでいい

最近はネドじゅんさんのエレベーター呼吸を続けていくうちに身体の反応に意識が行くようになったので、これに応えることを優先しながら、時々出てくる思考に気づきつつ生活しています。


それに伴って、非二次元のことが語られている記事や動画に興味が出てきてよく見てますが…

つくづくこの世界は幻で、不確実性なるものだけで出来てるんだなと思い知らされます。

現実も夜見てる夢もそれほど変わらない、自分で意図してる(ように感じてる)か、してないかだけの、自分の中の思い込みの世界で出来ているんだなーと。

そうなると、自分が今まで信じてきた観念や思考グセ、物の捉え方も、なにもかも相当曖昧なものであり…


左脳でぐるぐる思考で悩み続けてきたことも、他人との比較も、まったく見当違いなことだったんだなと、目が覚めてきました。



これまでHSPだから仕方ないと思っていた性質も疑問に思えてきて。

見たものをリアルに自分の世界のものとして捉えて、間に受けていたからこそ起こっていた現象なのでは?と思うようになりました。



これまでの経験から「他人のネガティブなエネルギーは自分に影響が及ぶ」いう暗示的な思考に囚われていたから、その通りになっていて、その不安恐怖に苦しんでいただけなんじゃないの?と。

体質のベースとして敏感さなどの素質は持ってるかもしれないです。

でもそれがあっても、思考の影響さえ受けなければ、よくわからない苦しみや生きづらさみたいなものから来る深刻さは、あらわれなくなるのでは?と思いはじめました。



すべての問題は、左脳の思考が「自分自身はこんな人間なんだ、だからこうなるのだ、しなければならない…」と作り上げた固定観念や想念、勘違いからきているもので。


そんな、不確実性たっぷりな固定観念や不安恐怖が出てきたら
「あー、これはわたしのものではないな。」と距離をとって思考に何も与えずに、解決もしようとせず、ただ過ぎ去っていくのを観るだけ。

そうすれば、この世界からだんだんとなくなって、望んできた軽いエネルギーで生きていけるのではないかなあ。

頭で考えてるシンプルなものを難しくしてきたのは、誰でもない自分だったのかもしれません。

ご覧下さりありがとうございます。創作作品を通して、人生を愉しみながら自分らしく輝ける、どなたかの歓びに繋がるように還元したいと思います!