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働くということ

一昨日、上司を怒らせた。
上司の言葉の矛盾点をひとつひとつ指摘したのだ。
Aについての知識を与えないまま、Aができてないと言ったからだ。

以前も同じようなことがあったな
と思い、指摘してしまった。

こちらが報告したことも、『聞いてない』と言われることも多々ある人だから。


上司はそれに対して感情的になった。

『もう面倒見切れない。看護長に話す』

と言う。

『話していいよ』
と気づくと答えていた。

いつかはこうなると思っていた。
発達障害の人の管理はストレスが大きいと思っていたから。

『面倒を見切れない。看護長に話す』
他の部署に転属になるのかなとふと思った。

そうか、わたし、いい大人なのに面倒を見られていたんだね。
転属になるなら辞めようと考えるうち、気持ちが落ち着いた。

その時、上司の後ろを看護長が偶然通りかかった。
上司の仕事を一時的に替わるからと、看護長と話すことを勧めた。

上司と看護長の話し合いの結果、
午後から上司と看護長と心理士、そしてわたしの四人で話し合いを持つことになった。

さて、こういう日は昼食も必要ない。
ゆっくりと休憩し話し合いに臨んだ。



病院には
辞めさせたい人はきつい部署に回す暗黙のルールがある。

わたしは再来週から他所の部署で主に働くこととなった。
そして今後の配属は、どこになるのか不明だ
と看護長は話した。

今の部署の人間関係がきついなら、少し離れてみるのもいいのではという。

最初からすべてうまくいくわけじゃないと看護長は何度も繰り返した。

わたしの働くことになる部署は、よく知る人ばかり。
その人間関係は負担にならないか、そこで働くのがきついなら、そこに行かなくてもいいと言う。

辞めさせたいのかそうでないのか
わたしは必要とされてないのではないのか


頭では必要とされてないわけではないし、
関わってくれる人がとても優しくしてくれていることがわかっている。

だが、嫌われるかもしれない、いつかは見捨てられるんだろうという気持ちがわたしを苦しめるのだ。

『自分を見つめ直す機会だ。
周りとの関係を離れた場所から思い、自分の在り方を考えないといけないよ』
と別の上司は言う。

自分にとっては、私の存在は必要な部下だと言う。

上司に理不尽な要求をされても、たいていの人はその場を穏便にやり過ごす。
そうしておいて上司の居ないところで仲間と不満を解消するのだろう。

それができないのがわたしのような人間なのかもしれない。

上司へ直接不満をぶつけるのは輪を乱す。
そんな人間は組織に必要ない。


上司はあちこちで人目をはばからずわたしとのことを話していた。
だから、何かあったのを知っているはずなのに、変わらない態度で話しかけてくれる人も何人かいる。

話しかけられて涙腺が破壊された顔で応じても、普通に接してくれる。

頭ではわかるのにな
誰かに必要とされないとか厄介者だと思われても
自分が自分を好きで見捨てずにいればいいのだと。

その日午前中に関わった患者さんにかけた言葉が
思い出された。
『心の弱ってる今は、決断は避けた方がいい』

しばらくは死にかけの心だ。
必要とされないと考えたことは、何度も甦る気がしている。

わたしには人と関わらずに働く夢がある。
夢を実現したら、その時考えよう。

眠くなりました。
おやすみなさい。

ここまで読んでくださってありがとうございました。

ゆっくりと休日をお過ごしください。
お仕事の方、平穏な一日でありますように。

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