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神様がくれる"プレゼント"に気付く
今現在、という言葉を英語で表記すると
"present"
そう、プレゼント。
今という時間は、神様からのプレゼント。
だから、ちゃんと受け取って味わい尽くそう。
そんなことを誰かに教えてもらった。
会社員として仕事をしていた時、自分が「いま、ここ」にいる感覚がなかった。
いや、体はそこにあって動いているのは間違いなかった。
でも、心はどこかにいっているというか、
「(本当はそこにいたいのに)今は行けない場所」をずっと見ている感じがしてた。
仕事家事育児に忙しい日々。
ひたすらタスクを消化してはまた新たなタスクが生まれ、それをまたこなす。
常に先を読む日々。
それは望む暮らし方じゃないから、いつかを夢見る。
そこに辿り着く日をずっと待ち望んで、目の前のことはただ通り過ぎていくだけ。
家という空間に対しても、同じ感覚があった。
数年前に建てた家。
29坪の小さな家だが、床はオークで木の造作収納があり、木の香りがして好きな空間だった。
それなのに。
当時、そこには寝に帰っているだけのような気がしていた。
寝る以外にも、当然ながら、ご飯を作ったり、食べたり、お風呂入ったり、子供が遊んだりしてはいるのだけど、私の感覚は「ただの寝床」だった。
本当は、もっと手をかけたい。
掃除したいところがたくさんあるし、観葉植物も置いてみたい。
オーガナイズ(片付け)もしたいし、何よりこの空間をもっと味わいたい。
そう思いながらも、今はできない時、ってか無理だし、そんな言葉が胸の内側に湧いてきて、何一つやらず先延ばしにしていた。
今思うと、驚きの思い違いなのだけど、
「全てが自分にとって完璧で、満足のいく日がいつかやってくる、そしたらやろう」
そう考えていたんだと思う。
そんな日がやってきたら、
掃除をして、観葉植物を買いに行って、片づけをして、この空間でゆったり寛ごう、と。
ある時、
ん?ところで、それっていつまで待てばいいの?
と疑問を持ち始めた。
そして、同時に気づいたこと。
仮に全てが完璧になる日がやってきたとして、仕事と家事と育児にずっと追われている今のこの時間はその捨て駒となるのだろうか?
その時間はなかったことにして、今は完璧、最高!って思うんだろうか。
その時まで私の心は、ここに、ないのだろうか。
沸々と違和感が生まれてきた。
今という時間=プレゼントを毎瞬毎瞬与えてもらっているのに、それを喜びもせず、味わいもせず、幸せではない時間に変換し続けている自分。
私の幸せってなんだろう?
今、幸せなのかな?
それが、自分にとっての「今」という時間を考えるきっかけだった。
これを読んでくださったあなたは、
神様からの「今」という贈り物、大切にしていますか?
※学びや気づきをアウトプットしています。他の記事も読んでいただけたら嬉しいです。
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