![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/41908278/rectangle_large_type_2_badb96282e9fb9c9968d2b291df6f380.jpg?width=800)
「勉強が好き」と言ってはいけないと思っていた
こんにちは。
ご無沙汰しております。
気づけばもう12月も終盤で、今年も残り3日(ほぼ2日)になっていました。
そして、私は7月から一切記事をアップしていませんでした。汗
さて。気を取り直して。
今回は、私がずーーーっとモヤモヤしていたことをぶちまけます。
一言で言うと、タイトルの通りになります。
とりあえず、初めてみましょう。
比較的勉強のできる子どもだった
スタートは小学生でしょうか。
私は小学1年生の頃から、比較的勉強ができる子どもでした。
なんだか嫌味のように聞こえますが、「頭が良かった」とか「賢かった」とか、そんな天才的なことではなく、単に
学校との相性が良かった
だけだと思っています。
まあ、それはそれは「良い子」でした。笑
宿題は絶対にやるし、先生に逆らったりするなんてありえないし、校則もきっちり守るし。
これが基本的に高校生までずっと続きます。
今はさすがにもう少し柔軟になったかなと思いますが、ベースにはこれが残っています。
(このあたりもいろいろあって苦しんだ部分なので、それはまた別の機会に。)
成績も良かったので、内申点等で困ったことはないような気がします。
「勉強する」=しんどいこと・嫌なこと?
これはあるあるなのかな、とも思うのですが。
子どもの頃(特に小学生とか中学生のとき)、
勉強している子を馬鹿にするような雰囲気
はありませんでしたか?
「ガリ勉」などと言って揶揄する感じです。
私自身、このようなことを言われたというはっきりした記憶はありませんが、まあいわゆるガリ勉でした。笑
学校で周りの子が「勉強するの嫌だなー」と言っているのを聞いて、
「そうだねー」ととりあえず合わせておくのですが、
実際はそこまで「嫌だな」や「しんどいな」と思ったことはなく。
「知らないことがいっぱいあっておもしろいなー」
くらいの感覚でした。
特に理科や社会科なんて、自分の知らないことばかりだったので、勉強しながら、頭の中は「へえ!そうなんだ!」
を連発していました。
「勉強する」というより「知らないことを知る」という感覚に近かったと思います。
「勉強するの好きなんだね」という言葉の裏を探ってしまう
とまあ、勉強するのは好きだったのですが。
「勉強するの好きなんだね」
と言われるのはとてつもなく嫌でした。
紛れもない事実なのですが。
なんだか、
「勉強ばかりしていておもしろくないやつ」
と言われているようで、すごく嫌でした。
(実際にそう言われたわけではなく、そのようなニュアンスを感じ取っていた、というか。勝手に感じていた、と言うか…。)
これは何も友達に言われるのが嫌というだけではなく、親族に言われるのも嫌でした。
学校の長期休暇に帰省していたとき、課題をしていたところ、親戚の人に
「勉強好きだね」
と言われ、
「そんなことない」
と即答したことがあります。
おそらく、心のどこかで
「『勉強が好き』って言っちゃいけないんだ」
と無意識のうちに思っていたのだと思います。
勉強が好きで何が悪い
今のスタンスはこんな感じです。笑
誰にでも言えるわけではありませんが、今は
「私、勉強するの好きなんだ」
と言えるようになりました。
本心を隠さずに言えるとこんなに楽なんだ
と気づくことができて、とても楽になりました。
なぜ、そしていつから言えるようになったのか、なのですが。
自分でもはっきりとした理由や時期は覚えていません。
ただ、大学生になってからです。
ぼやっと「こんな感じかな」と思っているのは、
・本当にいろいろな人がいると知ったこと
・本音で話せる友人ができたこと
・勉強するのは誰にでもできることではないと気づいたこと
でしょうか。
他にもいろいろあると思うので、ぼちぼち言葉にしておこうと思います。
なんだか、とてつもなくまとまりのない文章になってしまい、自分でもちょっと不完全燃焼な感じが否めない、というのが正直なところです(-_-;)
でも、このぐちゃぐちゃな感じも記録として残しておこうと思います。
文章力は伸びたと思っていましたが、まだまだですね。
もっと言葉を磨いて、自分の言いたいことを形にできるようになろうと思います。
とりあえず、「言いたいことが言えるようになりました」ということです。笑
今は「勉強する」というより「学ぶ」という方がしっくりくるかなあ
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?