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「ライブ感」が好きだ

先日、友人に誘ってもらい、某世界的人気アカペラグループのライブに行きました。
元々わたしは行く予定ではなかったのですが、
友人が一緒に行くはずだった方の都合が悪くなってしまったそうで、
ありがたくおこぼれにあずかってきました。笑
 
ライブはもちろん素晴らしくて、とても素敵な時間を過ごすことができました。
そして、ふと
「やっぱり私は”ライブ感”が好きだ」
と感じたので、この気持ちを忘れないうちに書き溜めておこうと思います。
 

「その時」「その瞬間」は二度とない

いわゆる「生演奏」というものですが、
たとえ同じ曲を演奏するとしても、人がやっていること。
つまり、毎回微妙に違うわけです。
音源を流している場合でない限り、「まったく同じ」ということはあり得ません。
 
それは、よく考えるととっても奇跡的なことだと思います。
 
演奏者がそこにいて、
それを聴いているお客さんがいて、
バックステージから支えている方がいて。
 
また、「その時」「その場に」いた全員が、再び集まることも(ほぼ)二度とないでしょう。
 
そう考えると、どんな演奏会やライブであれ、
それがプロであれアマチュアであれ、
とても奇跡的で尊い瞬間だなと思います。

「生きている」と感じる

わたしは歌っているときに
「ああ、生きているなあ」
と感じることがあります。
 
どんな演奏会でも、生身の人間がやっていることです。
いくら事前に綿密な計画を立てて、
何度もリハーサルを重ねていても、
本番のステージにおいて、何かしらのハプニングはつきものです。
 
そういう完璧”ではない”部分が、わたしとても好きなのだと思います。
 
多少のミスや失敗があって当たり前。
それもひっくるめて、いかにその場を楽しむか。
ミスですら、なんだか「貴重なもの」になってしまうような空間。
 
それが、とても人間らしくて、たとえ自分がプレイヤーではなくて聴く側だったとしても、
「ああ、いいな。生きているな」
と感じるのかなと思います。
 

「本番だけ成功する」ことが(そこそこ)ある

先ほど、
「本番のステージにおいて、何かしらのハプニングはつきものです。」
と書きましたが、もちろん逆もあります。
 
そう、「本番だけ成功する」というパターンです。
 
これが本当に不思議なもので、
誰でも一度は経験したことがあるのでは?
とも思います。
 
もちろん大小は問いません。
かくいうわたしも、学校の体育のハードル走の授業で、タイム走の本番だけ1台も倒さずに走り切れたりしていました。笑
 
「本番」という良い意味での緊張感が、不思議な力を与えてくれるのかもしれません。
 
「何が起こるかわからない」
それが本番というものなのだと思います。
 

もう一度プレイヤーになりたい

さて、ここまでとりとめのない話を書いてきましたが、
わたしもかつては1人のプレイヤーでした。
 
吹奏楽部や合唱団で活動していたことがあるため、ずっと
「ステージの上でパフォーマンスをする」
という経験をする場をいただけていたわけです。
 
ただ、学生ではなくなった今、そのような機会はほぼ0になってしまっています。
一般楽団を探して参加すればよい、と言えばそれだけなのですが、
自分の生活を整えたり日々の忙しさを言い訳にしたりして、
今まで何もアクションを起こすことができていません。
 
そして、いつも人のパフォーマンスを見て
「ああ、自分ももう一度パフォーマンスをする側になりたいな」
と思うのです。
 
他の方のパフォーマンスを観るのももちろんよいのですが、
やはり自分もあちら側(=ステージの上)に立ちたいという気持ちも湧いてきます。
 
もうすぐ2023年度が始まります。
「もう一度”パフォーマンスをする側”になること」を2023年度の目標にして、
アクションを起こしてみようと思います。
 
さて、何をしようかな!

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