ライムスターと俺 その2

奈良にきたライムスターを見にわざわざ来た、確か年始でえべっさんに行ってから奈良市まで行った。なんとなくトイレに行きたかったので、クラブの目の前にあるビジネスホテルでうんこしてからエレベーターで階下に降りようとしたら、なんと御三方が既に乗っていたところに私が乗り込んだ。たった2階から1階というせいぜい15秒くらいの時間だったが、御三方と同じ空間にドギマギしているだけで1階に到着。この時2009年だったと思うが、その十数年前にマミーDソックリのフローでラッパーを目指していた自分、深圳で励まされたあの時、グレートアマチュアリズムを金曜日のテーマにしてた香港時代とか思い出す暇もなく、淡々とした時間が流れたが、未だに忘れられない瞬間である。その後のライブは言わずもがなのキングオブステージだった。明け方に御三方がファンサービスで撮影とかしていたが、私は遠くから眺めるだけ、神すぎて近づけないのである。わかるかな、この感じ。

またその2年後ぐらいにワンサゲン提げてのキングオブステージを名古屋で見たけど箱の規模もだいぶ大きくなり、ファン層も全然変わったライブを見た。当日私はハシャギ過ぎて、ビールを買っては飲み買っては飲みで泥酔してしまい、前の列の若い男女の膝うえぐらいにビールをぶっかけてしまうが、なんかオッサンが酔って騒いでると怖がられてしまった。古いライムスター信者としては、せっかくハマってくださった若い人たちに迷惑をかけたことでファンを辞められたどうするんだと未だに思い出して反省している。

閑話休題、私は2000年から2008年まで中華圏にて留学と仕事をしていたのだが、帰国するとシーン自体はかなり変わっていた。まだサブスクやダウンロードなどはなかったし、音源をネットでやりとりするほどの時代ではなかったが、
まだCD市場はそれほど厳しくなかったのではと思うが、正直日本語ラップ業界は少し厳しい状態だったと思う。UMBなどのフリースタイル組、ダメレコが頑張っている時代で、かつての大御所たちは明らかに勢いを落としている時期だったと思う。そんな中でもライムスターは、マンクとかマボロシとか、宇多丸さんはウィークエンドシャッフルとかブログとかで常に情報発信しながらも活動の場を広げられていたと思う。やっぱりすごいのがセルアウトすることなく、ブレることなく、また、メジャーグラウンドでもHIP HOPカルチャーの学級委員(時としてそのポジションに不満を漏らされることもあるが)としての発言や紹介をされているのも尊敬するところである。私も元々映画好きだし、コンバットレックの演歌特集とか、ライムスターの売れてない時の泥水すすり話とか、WSもA6Jもポッドキャストで聞いて日々のインプットとしてもエンタメとしてほぼ毎日宇多丸の声を聴き続けている。また、でるアルバムは絶対買うし客演もサブスクで絶対手に入れる。
最近は問う今日なども良かった。

ともあれ、そんなこんなで、94年から今日現在までずっとファンなのでありまして、それはボーイやレベッカを懐かしく聞くのではなく、現在進行形であり最新がベストという偉大なアーティストなのであります。そして間違いなくHIP HOP村の代表でありヘッズの兄貴なのである。おそらく私自身の過去の全てに完全に根を張っているライムスターは彼らが活動を続ける以上はずっと聴き続けると思います。

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