短かった夢の終わり その3

録音は閉店後の某クラブで録った。録音エンジニアとして、レゲエのダブなどで経験たっぷりなその箱の社長Sさん。自分達のレギュラーイベント終了後の朝6:00から録音開始というタフなスケジュールだった。現役でラッパーであると同時に役者もやっている相方はたぶん2テイクぐらいで終わったが、自分はたぶん15テイク以上とらせてかなりかかったと思う。やはりトリッキーすぎるライミングが仇となった。またライブでハネるB面扱いの曲もトラックが新ネタで初録音、徹夜明け真昼、テンションの上げ方がわからずスイッチがONにならない。何度もやっているネタなので噛む事は少なかったがそれでも結構テイクを重ねた。
サクサク終える相方はクラブステージのフロアに大の字に寝ている。録音前の準備不足にSさんは少し呆れている感じもした。反省だらけの録音は15:00ぐらいに終わった。その後一応DJのPとSさんでマスタリングをしてくれたと思う。そんなこんなで初録音は終了した。

マスターDATから焼いたCDをもらい家で聞いてみた。結果はいうまでもない。非常に並の出来であった。悪くもなく良くもなく、日本語ラップヘッズとして聞いてみての評価とすると、ワクドキしない感じ、アルバムはいらんし、ライブも興味ないなと思った。つまり凡百の底辺ラッパーのデモという感じである。その後は何度も聴かなかった。100枚CDRでやいてジャケも作った、後輩や客に売った。後輩は「いけてますやん」と言ってくれた。「ありがとう」といいつつ、「お前らこんなんいけてると思ってるなら、やめた方がええ」とさえ心の中で思っていた。その後地方周りもあり100枚は売り切った。相方やDJのPがたくさん売ってくれたと思う。売った分だけ実入りになるのだが、私は満足していないこの作品を売りまくる事はなかった。実はこの時期の記憶があまりない。悪いときの記憶をなるべく早く忘れようとする本能なのだろう。確か1999年の秋ごろの録音だったと思う。

この一連の作品つくりとその自己評価において自分は色々と見えた。

シーンが隆盛してきている中でのチーフロッカやヒダヤンの進歩、DONFLEX(LARGE PROPHITS、ウルフパック、ドーベルマンインク、Minmi、アイスライス)やFLAT(土俵ORIZIN)などで徐々にプロップスを得て人気が出ているイベントとそのメンツとの比較。レコ屋や服屋にならぶ自主制作作品と自分のデモとの比較。これ以上このゲームに参加することは危険と判断した。短かった夢の終わりは自らを知る事で目が覚めた。

続く(次でこのシリーズは終わり)

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