わたしにはコトバがない。想いが溢れすぎて。 混沌を整理すれば、平ったい感動にスライドしてしまう。 こぼれ落ちた砂。
言葉は人をしばる。「あなたは〇〇です」と言われたら、すっと潜在に入り込み、そんなような自分を演じてしまう。『言葉がはじめにあった』のは言葉の示すカタチが、先に用意されることを意味するのでは?
肉体を通して、目のあたりの穴から世界を見つめる感覚には安心感がある。不動の自分、存在感そのもの、魂の居るところ。
”目の前”は自分の写し出し。一つの出来事を各人がそれぞれの主観で受け取る現象、それが、その証。主観の元となる自己の記憶の曇りを払う。
何かに合格しようとすることが、無意味に感じる。本来伸びる方向に伸びる姿勢に磨きをかける。
戦った時点で、つまり、参戦した時点で、戦いの中にいる人たちは既に負けているんじゃないかな。一面、勝ったとしても、どこかで負けている。終わらない戦いをつなげている事になる。ワンランク、メタな自分にシフト。
主軸がズレてしまってる人、けっこう多いんじゃないかな。損得勘定や不特定多数の目を気にしてしまってる。自分が本当は何を求めているかを見失いがち。