長文が書けない
困った。長文が書けない。
思えば15の春、高校に入学した頃から始めたTwitter。
140文字に思いの丈を詰め込むという作業は、その縛りゆえに独自の良さを生み出しているとも言えたが今思えば、考えていることをその容量に詰め込む過程でこぼれ落ちてしまうニュアンスも多くあると思う。
かくして時は経ち、僕はTwitterをやめ自らの溢れる無駄思考をインターネットの海に放流するためこのnoteというサービスに移住したが、実質的に文字数制限のないこの世界に既に圧倒されつつある。
思考が圧縮されている。
言いたいことを考える過程で、出力を決まった文字数以内に収めて表現する回路ではなく、「出来るだけシンプルな出力がされるよう考える」思考回路の方が形成されてしまっていたようだ。
そういえば村上春樹氏はSNSをやらないとか言ってたな。こういうことなのかな。
ウケる
以上です。
2021年11月3日
新山球太
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