お盆を前に考える、死者とのコミュニケーション<記憶>
何ら情報が伝わらなくとも、そばに寄り添う、時間を共有する、などは立派なコミュニケーションと言えます。
ゆえに、コミュニケーションは、表面的な技術ではなく、実は、真心の問題です。
また、共感などの、一方的なコミュニケーションもあり得ると思います。
たとえば亡き師を思う気持ち、これは仮に届かなくとも真心です。
もし、それが成り立たないとすれば、墓参や弔いなど、死者とのコミュニケーションが成り立たないことになります。
思い出(=記憶)の中のコミュニケーションもあり得ます。