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寝ても覚めても

こんばんは、えりりちゃんだよ。皆様ご機嫌麗しゅう?

今日は前々からしたかった映画の話をします。映画「寝ても覚めても」についてです。それも、感想というよりはこの映画を通して感じている不思議な経験について書きます。是非観て欲しいのでできる限り作品のプロットに関するネタバレは避けますが、フラットな状態で見たい方はぜひ先に映画を見てからこちらの記事を読んでもらえると嬉しいです。

この映画は柴崎友香原作の小説「寝ても覚めても」の映画版で、私は小説の方は未読です。監督は濱口竜介氏で、最近だと村上春樹原作の映画「ドライブ・マイ・カー」の躍進が記憶に新しいですね。

あらすじ

大阪で社会人になったばかりの朝子は偶然出会った同い年の青年、麦(ばく)に恋に落ちる。2人で遊ぶようになり、次第に付き合うようになる。周囲に心配をされても麦との恋に夢中な朝子にはそんな事は気にならなかった。そしてある日、麦は上海に旅立ったまま朝子のもとに帰って来なくなった。

3年後、朝子は東京に引っ越しカフェで働き始める。そしてある日、朝子の働くカフェのビルにある会社にコーヒーを届けるとそこには麦にそっくりの男性、亮平がいた。名前も年齢も性格もぬくもりも違う麦と亮平だが、その顔を見て朝子は胸は高まるばかり。雪の降った日、朝子が貧血を起こし公園のベンチで休んでいると亮平が通りかかり自宅まで送り届けてくれた。それをきっかけに2人は親しくなり、朝子は優しい青年、亮平と付き合うようになる。そして麦の居場所が分かったのはその後のことだった。

Wikipedia 寝ても覚めても より

ざっくりまとめると、美人だが少し主体性のなく危うい系女子の朝子が明らかに危険な麦にハマり、その麦が忘れられないままそっくりさんの亮平と付き合うものの、二人の間に築かれた束の間の幸せを破壊しに麦が現れて、さあどうなっちゃうの〜!?というお話です。

映画の評価はどうやら、あまり高くはないようです。それも頷けます、特に朝子役の唐田えりか、麦と亮平の二役である東出昌大の演技は及第点にも達しておらず、全体的に棒読み感のある演技にはやや違和感を覚える人が多いのではないでしょうか。Filmarks評価も平均3.5なので、一般的に良作とは思われていないかもしれません。

サウンドトラックは至極の一言。tofubeatsが初めて手掛けた映画音楽ですが、主題歌のRIVERを始めいくつもの主題がリプライズで登場する、素晴らしいサウンドトラックに仕上がっています。RIVERは私が最も好きなラブソングの一つです。

特にこの「futari」が好きです。付かず離れず、RIVERの歌詞にあるような流れる川のような二人の情景が浮かぶような素敵な曲です。

第四の壁(だいしのかべ)

これは演劇用語なのですが、我々観客と演者との間には見えない透明の壁があるとする考え方があります。これが第四の壁です。

「第四の壁」とは、元々は演劇の概念で、舞台と観客を隔てる透明な壁のこと。舞台背面に一つ目の壁、舞台の両脇に二つ目と三つ目の壁、そして舞台正面と客席の間に四つ目の壁がある、という見立てです。

通常、演者はこの「第四の壁」を越えられません。演者はフィクション世界の住人として振る舞うため、観客は「いないもの」として物語が進行するからです。

https://president.jp/articles/-/25390

通常、映画の主人公たちがこの第四の壁を超えてくることはありません。上の記事ではデッドプール2がその例外として紹介されていますが、そもそもデッドプールの作品自体がメタ的な笑いをふんだんに盛り込んだ作品なので、エンタメとしての面白さはあれど、作品のレトリックとしての真剣さはあまり無いと思われます。銀魂とかも笑いのノリが近いよね。

映画「寝ても覚めても」も、作品として第四の壁は守られます。ただ終盤、麦と亮平の間を揺らぎ続ける惨めな朝子の姿と、朝子の奇行によって精神的に憔悴しきった亮平の姿は演技を超えた何かを感じました。過ちを犯しながらも必死にすがりつく朝子とそれを汚らわしくあしらう亮平、その横で静かに流れる淀川。清濁を併せ呑むように流れるその川はまるで生も死も受け入れるガンジス川のようで、主題歌RIVERへと続く流れに感動とも諦観とも違う、薄ら寒さや不安感を覚えて映画を見終わりました。数カ月後に忘れられずもう一度見直したのですが、私は全くこの映画が消化できなかったのです。

映画の中の出来事はすべて演技によって出来上がっており、第四の壁を超えて私達に迫ってくることは先ずありえません。そう思っていた2018年の映画公開から2年後、2020年に東出昌大と唐田えりかの不倫が発覚します。

私は日本の不倫報道はやりすぎだと思っています。不倫はクソですが、個人間の出来事に対して世間サマが謝罪を要求する意味がわかりません。それよりストーキングや性犯罪を厳罰化すればよいのに、と思いますが今日の本題はそこではありません。このニュースに触れた瞬間に私は、あの朝子と麦が第四の壁を超えて現実に現れたような恐怖感を覚えました。と同時に、この映画がこのニュースをもってついに完成したのではないかと感じたのです。

不倫ニュースが出た直後にこのツイート、tofubeatsさんの笑いのセンスを感じます。

ドライブ・マイ・カー

同じ濱口竜介監督作品で、ドライブ・マイ・カーがあります。ここに出てくる、岡田将生が演じる精神的に不安定な若いイケメン俳優「高槻」も、東出昌大その人を強く想起させるような役柄及び演技をしています。この第四の壁を超えた現実と虚構の行き来こそが、この濱口監督の強みなのではと感じています。それを検証するために、他にも色々過去作品を見てみるつもりです。

まとめると「寝ても覚めても」「ドライブ・マイ・カー」の2作品は、邦画の中でもかなり好きな作品ですし、好きという言葉で片付けられないざらついた感触が気に入っています。観る映画に迷っているなら、ぜひ見てみてください。ドライブ・マイ・カーについては村上春樹原作の短編集「女のいない男たち」もかなり良くて、特に独立器官、シェエラザードには唸らされました。

それではご機嫌よろしゅうに。

かしこ

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