見出し画像

感想文:失恋ショコラティエ(フジテレビ、2014年)


新年明けましておめでとうこざいます。新年一発目の記事は最近見たフジテレビ系ドラマ「失恋ショコラティエ」の感想文をお届けする。

概要

このドラマは、水城せとなによる漫画「失恋ショコラティエ」を原作としたテレビドラマで、フジテレビ月9枠、ジャニーズ主演&ジャニーズ主題歌という、普段私は全く見ないタイプのドラマである。友人のブログエントリで興味を持ち、気軽な気持ちで見始めたが、色々と思うところがあり、こちらに感想を順不同で書き連ねていきたい。乱筆乱文ご容赦。

片思いをエネルギーに昇華することの功罪

主人公である小動爽太(以降、爽太)は15歳の時にメインヒロインである高橋紗絵子(以降サエコさん)に片思いをし、それを叶えるために単身パリへ移住、ショコラティエとして再び日本に戻ってサエコとの恋愛を叶えようと奔走する。

ショコラティエとして働く中で創作意欲やインスピレーションは重要なものらしく(おそらく食品というより工芸品に近いようだ)、主人公はその創造力の源泉をサエコさんに求めている。私は職業はショコラティエのようなクリエイティブ職ではなく会社員だが、意中の相手がいることを仕事や勉強のエネルギーに使うタイプなのでその功罪はよく分かる。端的に相手と関係が上手くいっていると仕事のモチベーションが高まり、逆に関係が拗れると一気にモチベーションも下がるというものである。これ、プロとして本当に良くないんだよな。

私自身できる限りモチベーションが下がっても最低限の水準は守れるよう仕事の仕組み化に取り組んでいるが、いわんや爽太のようなクリエイティブ職ではそうもいかないだろう。恋を毎日のエネルギーに♪みたいな綺麗事は、あくまで綺麗な恋愛をしている者にだけ許されていることを忘れてはいけない。少なくとも相手が既婚者であったり、既にパートナーがいる相手である場合は、その片思いを日々のエネルギーに利用することで、その乱高下の副作用を否応なしに享受することになる。

緩やかな失恋を続ける快楽と「推し活」

嘗ての片思い相手であったサエコさんと再会した爽太は、相手を天使として崇め、ほぼ偶像崇拝的に愛し続ける。これは2014年当時は今ほど一般的でなかった「推し」という表現が近いと思う。私の感覚で「推す」を言語化すると「相手の卑劣な人間性や汚い本質などの人間性と向き合うことを忌避し、上澄みのアイドル性のみを讃え消費し続ける行為」という表現が近似値だと感じる。

一方、爽太のセックスフレンドであり「片思い同盟」であるエレナとは、より人間的な関わりをする態度が垣間見える。他の相手に片思いをしていたエレナが最終的に爽太に恋愛感情を抱くのは道理にかなっている。爽太の盟友であるオリヴィエが指摘している通り「ほぼカップルのような過程(=相手の美しい部分のみでなく、汚い部分やより抽象的な価値観、人間性、面倒臭い部分と向き合う行為)」を数話を通して行なっているからだ。ただ、これをセフレの状態でしちゃってるから話が拗れるのだが……

お互いを利用したオナニーはセックスではない

前述の通り、現実的な人間関係の構築を済ませた爽太とエレナのセックスは、文字通りセックスである。これは私の考えの根本だが、セックスはあくまで雑談などお互いを知って理解し合うコミュニケーションの延長線上の一つである。お互いを理解しようとしたり、お互いの悲しみを癒そうとしたり、あくまで現実的な人間関係の延長線上にある行為である。

ただし、ドラマ9話以降の家出したサエコさんと爽太とのセックスは、セックスに見えない。当然、お互いに抑え続けた感情を解放したのだから燃え上がるようなセックスだろうし、シンプルな世の道理として「してはいけないものは燃え上がる」と決まっているものだ。ただし爽太は自分の幻想の中のサエコさんを利用したオナニー、サエコさんは自分の幻想の中の逃避行(自分を盲目的に愛してくれれば相手は誰でも良い。たまたま爽太がそれだっただけ。代替可能)を体現したオナニーに見える。こうした関係は当然サステナブルではないし、長続きしない。ただし、その中毒性や快楽性が高いことは、一部の歪な関係を経験したことのある人であれば分かるだろう。

現実主義者と理想主義者の恋愛は噛み合わない

悲しいとか、そういう感情全くなくて。不思議なくらい落ち着いてた。(中略)彼と暮らすあの場所が、あたしのいるべき場所だったんだって。ごめんなさい。でも、爽太くんだっておんなじでしょ?爽太くんが好きだったのは、本当のあたしじゃなくて、ただの幻想だったんだよね。だからあたしたち帰らなきゃ。いつまでも幻想の中では生きられないよ。

失恋ショコラティエ#11

サエコさんのセリフである。十数年間、相手が片思いしていることに気付いていながら最後にこのセリフを突きつける残酷さ。大人の幕引きとしては正しいが、こういう相手を好きになるとボロボロになる理由を垣間見てしまう。結局お互いが幻想の相手と恋愛をしていたという事実は認めざるを得ず、またここまで中毒性の高い(=エネルギーを消費する)恋愛が終わったところで、現実的な恋愛関係であるエレナに戻るという選択肢も最初から無かっただろう。これから現実的な恋愛を求める人と、さっきまで幻想的な恋愛に浸っていた人は、そもそも話が噛み合わないのだから恋愛なんてできない。

まとめ:君がいなくたって

片思いがもっとも辛いのは、相手と結ばれるか不安になることではないし、相手に別の異性がいることでもないし、ましてや明確に相手に拒絶されたり振られることでもない。もっとも辛いのは「相手がいなくても生きていける」と気づいた時である。私の好きなハンブレッダーズの曲を聞いて欲しい。

ドラマ11話(最終話)で爽太は、相手を失ったことでチョコレート作りのクオリティが下がっていることを自覚しながら、サエコさんというエネルギーの源泉であり恋愛沼と決別し、一人で生きていく宣言をする。「たとえ幻想だったとしても、サエコさんはやっぱり俺にとって特別な人だったんだよ」。恋愛において時間薬はもっとも効き目の強い薬品である。おそらく数ヶ月、半年と時間が流れていくにつれ、相手を思い出すタイミングも減っていき、相手がいなくても生きていける事実に気付くのである。その瞬間がもっとも寂しく、残酷に感じる。その現実をエンディングとして描き、安易なハッピーエンドやズルズル長続き展開に逃げなかったドラマの構成は賞賛に値する。

2024年、失恋ショコラティエの放映から10年が経った。今年はどんな恋愛、どんな友情、どんなに残酷な展開が待ち受けているのだろうか。唯一の救いは、人はどんなに辛くても美味しいもの、甘いものを食べればある程度は幸せになれることである。読者諸兄も、適度に甘いものを食べて、温かい飲み物を飲んで、一年を健康に過ごせることを祈っている。

かしこ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?