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日記

  皆さまこんばんは。えりりんごです。私がこのブログを始めて4年目になりますが、初めて日記を書きます。

  私は日記が苦手です。なぜなら私は、普段から文章も会話も、ある程度構造化して章立てを考えたり、聞きやすかったり笑いやすいように事実を加工しながら作っているからです。聞きやすくもないし笑えないというツッコミは無しでお願いします。出来事を素材のまま、ありのままを書くというのが苦手なのですが、それが日記です。今日は少しつらつらと書いてみようと思います。

  私は、唐揚げ弁当が好きだけど苦手です。食べる前は必ず唐揚げ弁当が食べたいと思うのに、実際に食べるとどんどんとしつこさが増して、最後までそれを満喫して食べられたことはありません。もう唐揚げ弁当はいらないという後悔と、今日は絶対唐揚げ弁当食べたいな、を繰り返しています。

  そして、その真逆にあるのが風呂に入るという行為です。風呂は毎回面倒ですが、毎日入っても後悔したことは一度もありません。上がったあとはさっぱりして気持ちいい。

小原晩のエッセイ「ここで唐揚げ弁当を食べないでください」

  異性の好みと相性も、近いものがあると感じます。私は本当にバカなのですが、この年になって最近「好き=相性」ではないと学び始めました。惚れてるけど相性の良くない相手、惚れてないけど相性の良い相手というのはあり、ここに矛盾はないらしいのです。

  好きだけど苦手なままでいい。好きでなくても心地よさを感じて良い。唐揚げ弁当のようなハイカロリーな関係も、毎日のお風呂のような緩やかな関係もある。どちらも豊かである。
  きっと10歳の頃からそれに気付いていた人もいたんでしょうが、私はようやくこのあたりの課題に折り合いが付き始めたばかりです。どうか愚かだと笑ってやってください。

  過去の私は頻繁に、濃い味の唐揚げを食べて胸焼けを繰り返していました。薄味なたけのこの土佐煮を食べても、全く味のしない日々でした。最近はたまにジャンキーなことが起こり、たまに白だしのような優しい出来事があり、そんな感じの日々です。
  何度過去を俯瞰しても、物事の発端の多くが私にあるので大変身勝手な男なのですが、そんなだからこそ、逆に身勝手なことをされてもある程度なら許せてしまうし、逆に少し安堵もするので、時には身勝手なくらいでも悪くないなと思います。時には、くらいなら。

  この前女の子に「りんごさんは相手に踏み込みすぎない距離感で漂い、かつそれなりに相手の状況や感情を理解しているところが美点である」と褒められました。そんな相手がいればきっと私は友達になりたいと思うだろうし、もし私の友達も皆そう思って私と親しくしてくれているならば本当に幸せです。文章を褒められることも、一番好きです。私も相手の良さを言語化して伝える優しさがあればよかったですが、正直それは苦手分野です。

  あなたは唐揚げ弁当、好きですか?日本橋に、唐揚兄弟という美味しくて良い感じに酔える立ち飲みがあるみたいです。今度一緒にいきましょう。

  以上、今日の日記「唐揚げ弁当」でした。


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