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メビウスの輪

男は、会わないと段々恋しくなる
女は、会わないと段々どうでもよくなる

男は、一瞬で恋をする
女は、徐々に恋をする

男は、好きと嘘をつき
女は、嫌いと嘘をつく

男は、ストレスで黙る
女は、ストレスで喋る

男は、恋をすると強くなり愛すると弱くなる
女は、恋をすると弱くなり愛すると強くなる

男は、悩みを1人で抱え込む
女は、悩みはシェアしたい

男は、ナンバーワンになりたい
女は、オンリーワンになりたい

そうなんだってさ。Threadsで見付けてびっくりしたんだけど、私は上の七段落の全てで女性側のセンテンスに共感してしまった。特に熱しにくく冷めにくい性格の私は、いつも徐々に誰かを好きになるし、離れると徐々にどうでも良くなってしまう。遠距離恋愛が続かなかった理由もコレだと思う。

男は男らしく、女は女らしく。私はそんなクソくだらない生き方をするつもりは更々ないし、誰かにそれを強要するつもりも一切ない。私のジェンダー論の根本にあるのは、東野圭吾の「片思い」という小説だ。

「男と女は、メビウスの裏と表の関係にあると思ってます」
「どういう意味ですか」
「ふつうの一枚の紙ならば、裏はどこまでいっても裏だし、表は永久に表です。両者が出会うことはない。でもメビウスの帯ならば、表だと思って進んでいったら、いつのまにか裏に回っているということになる。つまり両者は繋がっているんです。この世のすべての人はこのメビウスの帯の上にいる。完全な男はいないし、完全な女もいない。またそれぞれの人が持つメビウスの帯は一本じゃない。ある部分は男性的だけど、別の部分は女性的というのが、普通の人間なんです。あなたの中にだって、女性的な部分がいくつもあるはずです。トランスジェンダーといっても一様じゃない。トランスセクシャルといっても、いろいろいます。この世に同じ人間などいないんです。その写真の人にしても、肉体は女で心は男などという単純な言い方はできないはずです。私がそうであるようにね。」

引用:片想い P.366 (東野圭吾)

100%男なんて男は居ない、100%女なんて女も居ない。誰もがメビウスの輪のグラデーションのどこかにいて、ある時にはそこらの男より格好良く、時にはそこらの女よりも可愛らしい、そんな自然なギャップに溢れた人こそが本当に魅力的な人間だと思うし、モテる人だと思う。そんな男を当然私も目指しているし、妙に男っぽい性格の女性に結局毎回惹かれてしまうのも、そういう理由からなんだと思う。

当然、性格や行動に性差はあるから、その傾向をあれこれ語らうのは楽しいと思う。私もデートでスマートにエスコートとかして男らしく振る舞う自分を心のなかで「男らしい人ごっこ」と思ってこっそり楽しんでいるし、根拠なき妙な「女の勘」が働くときもよくある。男女の友情?もちろんあるし、同性だから分かり合えないこと、異性だから分かり合えることも沢山あるでしょう。

一人称も「私」が一番響き的にノンバイナリーな感じなのでできる限り私で統一している。フランクな雰囲気にしたい時は「俺」を使うけど、ちょっと粗暴な響きになるなと思う。あと同性婚に反対してる自民党の男性議員、全員明日から突然美少年のことを好きになって苦しめばいいと思ってるよ。皆も男や女の定義に振り回されず、自分らしく楽しく生きられますように。

かしこ


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