山吹
はてなブログで連載していた衣服購入録シリーズです。
ゆらゆらと揺れる炎は赤かった。今は昔。府立体育館で「銃をとって叫べ 誰に俺たちが裁けるのかと」とか歌唱した人がおったそうな。 なるほど、革命である。服装からの開放、というような話をして、世界をどうにかこうにか改変、やばい思想家とかが死んだ理由っていうのは戦争とか革命なのだから、そのへんを起こせばなんらかの世界改変は望めるだろう。 やばいやつらと、ついでにアルマーニとかの首とかのため、私はいま、革命家として立ち上がったのである。服に高貴的な意味を持たせた者たちに裁きを
私、余、僕(やつがれ)は、世界を燃やすことにした。 そこまではよかったのだが、じゃあ火をつけてまわるのか、といえばそういうわけではない。 なぜなら、昔こそ火の海、というのは木造建築物が多かったがゆえに果たすことができたものの、現代の日本はコンクリート建築が非常に多く、なかなか燃えないからである。 ではそんじゅうそこらの人間の衣服に火をつけるのか、というと、なるほど、一種衣服からの、衣服を着せられる現世からの開放、ということではそのへんの人に火をつけ、御所を処女の
人間というのは、衣食住揃ってないと、人間としての資格を剥奪される。 というのも、法律でそのように決まっているので、これは誰にも変わらず等しく課せられた義務であり、これを守らないと自分が死ぬか、法律のもと裁かれることが確定しているのである。 そしてこの3つのうち、外を歩く場合は衣服を着用していないと、警察から逮捕され、美味しくないご飯と単純労働とをしなければならなくなり、前科というものがついて、これから死ぬまでの人生がみっともなくなる。 これが住居に守られているな