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人生が変わった後の放送事故

ご覧いただいている写真は、再起動後の私。

留学で180度性格が変わった私は、親も理解できないくらいの自信の塊となって帰国した。「あんた、ホントに由紀ちゃんね?」と父が言ったくらいだ。

その勢いのまま就活をスタートし、私は卒業と同時に開局した新しいテレビ局の報道記者・アナウンサー1期生として入社した。もう自信しかない、世界は私中心に動いている!くらいの心持ちだった。

入社1週間後、全国中継を担当した。「新しく開局したテレビ局から桜中継です。松尾さーん!」と久米宏さんが呼びかけてくれた。

予定では、そこから16分間、美しい照明で照らされた夜桜をたっぷり紹介するはずだった。

はずだったのだ。

「皆さんこんばんは~!松尾由紀子です。この桜は~」と準備していた原稿を伝えるはずが、もともとあがり症な私は極度の緊張から言葉が言えなくなってしまった。しばらく沈黙がつづいたのち中継はわずか8分で強制終了となってしまった。最後は「松尾さん、もういいですよ」という一言であっけなく終了。

この16分間の全国中継のために、照明さんから音声さん、中継スタッフ含め50名近いスタッフが6時間も前から準備して下さっていたというのに、入社1週間目の新人が台無しにしてしまった。私はそのあと始末書を書いた。入社して初めて書いたビジネス文書が始末書であった。

考えてみれば、数週間前、自分より2回りも上の局長が「松尾君、これを読んだらいいよ」と原稿をくださった。それを丸暗記することが仕事だと思い込んでいた。私は借りた言葉を一生懸命インストールしようとしていたのだった。でもしょせん、借りた言葉は借り物。自分の物ではないのである。全国中継の時、私は自分の言葉を1つも持たなかった、丸腰だった。無力だった。

この経験が、私のその後の人生で大切なものを決定づけることになる。

「きれいにまとまっていなくても良い。ざらついていても、不格好でも自分の言葉が一番強い」ということである。


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