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崔承喜の兄・崔承一のことなどもう少し

昨日の投稿のため、崔承喜の兄・承一について調べてみたら、興味を引く発見がいくつかあった。崔承一(チェ・スンイル)について関心のある読者がどれだけいるかわからないが、自分のためのメモとしてここに知るしておきたい。
崔承一はラジオ局所属のシナリオライターでプロレタリア作家だったが、演劇の作・演出も行っていたようだ。

新聞の演芸欄。タイトル周りのトップレスの踊り子のイラストに、大正時代の自由な空気を感じる。

芝居のタイトルは「山」。「炭鉱夫改題」。役名に(農夫)が目立つところをみると、これもプロレタリア演劇なのだろう。
キャストが興味深かった。沈影(シム・ヨン)は、俳優業の他、朝鮮共産党のメンバーとして名を残している。解放後、侠客上がりの元国会議員で反共活動家・金斗漢(キム・ドゥハン)に狙撃され重傷を負ったことがある。その後、ひそかに越北。北でも俳優として活躍するが、ほどなく粛清されたらしい。

北朝鮮で革命劇を演じる沈影。ヒジョーにキビシーという声が聞こえてきそうな顔をしている。
金斗漢。議員時代、有名な国会汚物(ウンコ水)ぶちまけ事件を引き起こしている。

羅雲奎(ナ・ウンギョ)は映画監督兼俳優で、あの伝説の映画『アリラン』の監督・主演といえば、おわかりか。『アリラン』は三一事件をベースにした抗日映画だが、内地でも評論家筋に高い評価を得ていた。フィルムは現存していない。羅は35歳で夭折。

『主なき渡し船』の羅雲奎。女性は、併合時代を代表する人気女優の文藝峰(ムン・ウェボン)。映画は、総督府が橋を架けてしまったおかげで、失業してしまった渡し船屋一家の物語。文はのちに夫・林仙圭(映画監督)ともども越北。
雑誌『モダン日本』の表紙を飾る文藝峰(昭和15年)
石井獏の元を離れ一時朝鮮に戻ったころの写真と思われる。最前列右が崔承喜。隣の女性はチェ・ヨンヒと元のキャプションにあるから、崔承喜の姉妹か・後列、右の二人が、承一と馬賢聰夫人。女優であった馬は、そのプライドゆえか、終始、崔承喜の舞踊には無関心だったという。

崔承喜が人生でもっとも影響を受けたのは兄・承一だったという。「兄のいうことはすべて正しいと思って育った」という。少女時代は、兄の本棚にある本をよく読んだ。一番感銘を受けたのは、石川啄木だったという。石井獏の弟子入りを薦めたのもこの兄だった。
承喜の初恋の人は兄の友人の金永郎(キム・ヨンナン)という学生で、これは相思相愛だったらしい。しかし、承喜の父の反対で将来を誓うまでにはいたらず。後年、承喜はやはり兄の文学仲間である安獏(アン・マク)と結ばれる。安獏は本名ではなく、妻の師である石井漠に敬意を表してつけたペンネームだという。

崔承喜と安獏夫妻。安は作家としてよりも妻のマネージャーとして才を発揮した。欧州公演では再三、金をせびりにくる独立運動家たちのいやがらせから妻を守った。

実をいえば、大家文庫で、日本のプロレタリア雑誌に日本語で書かれた安獏の寄稿文を見つけたのでコピーしておいたが、いかにも昔の左翼文学青年らしいコテコテ晦渋な文章(しかも時局柄伏字だらけ)で読むのを諦めた記憶がある。ファイルにいれてどこかに保管してあるので、見つけたらなんかの形で紹介シマス。


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