通州事件雑感 日本人と「虐殺」
(解説)本稿は、僕も制作に加わらせていただいた『新聞が伝えた通州事件-1937ー1945』(集広舎)完成発売を記念して、「新しい歴史教科書をつくる会」の月報『史』に寄稿した一文である。
通州事件については、リンクを貼っておいたので、くわしく知りたいかたはクリックされたし。
通州事件は、本来「通州大虐殺」と呼称されるべきものだろう。老婆から嬰児まで255人もの大量殺戮自体も異常なら、その殺し方の猟奇性・嗜虐性を見てもわれわれの想像力をはるかに超えたもので、正直「C人には青い血でも流れているのではないか」と戦慄を覚えずにはいられない。これを虐殺といわずになんというのだ。
民族には永い歴史の中で培ってきた戦争文化、殺しの文化がある。日本民族の戦争文化に虐殺の痕跡を探すのはむつかしい。信長の比叡山焼き討ちは数少ない例外だろう。
日ユ同祖論を唱える人がいる。日本人のルーツが古代イスラエルの失われた10支族のひとつだというのだ。ファンタジーとしては面白いが、まずありえない話だと思う。今いった戦争文化が日ユではまったく違うのだ。旧約聖書、とりわけ出エジプト以降、ユダヤの歴史は異教徒に対する虐殺の歴史そのものであった。「アマレクを討て。男も女の乳飲み子も、家畜にいたるまで殺し尽くせ」(サムエル記)と神は命じるのだ。日本の記紀にも熊襲征伐憚があるが、熊襲を滅亡まで追いやってはおらず、自然と同化の道を選んだ。鬼ヶ島の鬼でさえ降参すれば赦してやるのが日本人である。片やグリム童話では、いたいけな少女がおばあさんを竈で焼き殺すのである。やはり日本の精神風土に一神教はなじまない。
通州虐殺で何がむごたらしいかといえば、死体に対するあつかいだ。陰部に棒を突き立てられたり、銃剣でえぐられた女性の死体もあったと記録されている。「死んだ人はみな仏様」と教えられ、死者に対する畏怖をもって育つ日本人にはおよそできない所業だ。
ところが、死体を辱める行為はC那や朝鮮の歴史を見ると決して珍しいものではない。C那には「復仇は九代九族に及ぶ」という言葉がある。九族とは9親等ということで、一族郎党を意味する。九代は、自分を挟んで、前4代、後ろ4代の先祖子孫のこと。これらを皆殺しにして初めて復習が成立するのだという。ここで「はて?」と思われる人も多いだろう。後ろ4代はわかるとして、前4代とはどういうこと? 復讐したくても相手の曽々爺さんは多分既に死んで墓の中だろうと。そう、その場合は墓を暴いて死体に鞭打つのである。ラストエンペラー溥儀の自伝によれば、西太后の墓は国民党の手によって盗掘され、遺体は兵士によって凌辱されたという。清王朝に対する漢族の復仇である。
ここまで読んで、改めて日本人とC那人の生命に対する考え方の違いを認識されたのではないか。そして、中共が喧伝する南京大虐殺なるものは、通州大虐殺等をトレースしてでっち上げられたプロパガンダであることも。
日本人は世界でもっとも虐殺に向かない民族なのである。
初出・『史』(ふみ)2022年7月号
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