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ララミー牧場と香淳皇后

 60年代初頭、TV普及期の日本で驚異的な人気を誇った西部劇ドラマが『ララミー牧場』である。父が残した牧場を守りながら駅馬車中継所を営むスリム・シャーマンと旅の末に同地に流れついたガンマンのジェス・ハーパーの活躍を描く。『ララミー牧場』の放送時間には銭湯が空になるといわれたが、この表現もなつかしい。
 ジェス役のロバート・フラーの人気はすさましく、61年4月の来日では、空港に10万人のファンがつめかけている。いわゆる空港待ちのこれが元祖である。当のフラーはその歓待ぶりが信じられず、「あまりにも多くの人が手を振っているので、日本のエンペラー(天皇)がいらっしゃるのかと思った」そうだ。
 フラーは映画にも何本か出演経験があるが、いずれもエキストラや役名もないような端役。また、ムービー・スターとテレビジョン俳優との間には純然たるヒエラルキーが存在した時代である。日本で受けた歓声には正直大感激したようだ。ちなみに、『ララミー』のキャストロールでは、スリム演じるジョン・スミスが先であり、ジェス=フラーは副主人公あつかいである。しかし、なにかと優等生的なスリムよりも、流れ者という”過去のある男”=ジェスの方が(とかく日本人には)かっこよく見えるのは確かだし、今でも『ララミー牧場』といえば、ジェスが主人公と思っているファンも多い。コンドルのジョー(『科学忍者隊ガッチャマン』)、アオレンジャー(『秘密戦隊ゴレンジャー』)、ナンバー2がかっこいい番組は絶対成功する、これは僕の持論で、その最初の事例として記憶に強く残っているのが、ジェスだった。

▲やはり『ララミー牧場』といえば、デューク・エイセツの歌う日本版主題歌。イントロのペダル・スティールギターの音を聴くだけで涙がでてくる。

『ララミー牧場』はもう一人、お茶の間の人気者を生んだ。番組の中の「西部こぼれ話」という解説コーナーを担当していた映画評論家の淀川長治氏だ。次週予告のあと、右手をニギニギしながらサヨナラサヨナラサヨナラという独特のポーズが話題となり、ついたあだ名がニギニギおじさん。
このときの解説が好評で、『土曜洋画劇場』(のちの『日曜洋画劇場』)への起用が決まったという。映画解説というジャンルを開拓した人でもある。

往年のニギニギを見せる淀川さん。この人は評論家というより、職業=淀川長治というべきか。アニメ『怪物くん』でも解説を担当。僕ら子供がハマー映画を知るきっかけになった。
和服姿の女優たちに大歓迎を受けるロバート・フラー。左端にいるのが淀川さん。若い。
なんと、フラーと共に淀川さんが週刊誌の表紙に。真ん中の女性はジェリー藤尾夫人となる渡辺トモ子(のちに離婚)。

 フラーの来日中、淀川さんは案内役としてずっと行動を共にしていた。ある日、東京で行ってみたいところはあるか、と聞くと、フラーは「皇居」と答えたという。ちょうど、皇后陛下(香淳皇后)が外出されるというので、それに合わせてお出迎えをしようということになった。
 御召しの車が二人の前を通る。フラーが皇居を訪れているということは皇后陛下にも伝わっていたのだろう。なんと、皇后陛下はドアの窓を開けて、二人に向かって笑顔でニギニギ・ポーズを見せているではないか。
「ボブ、見て、皇后さまが僕らにニギニギしてくれているのよ」
 淀川さんは肘でフラーをつつく。しかし、フラーは緊張で下を向いたまま。とうとうお顔を拝見することもなく、自分のつま先だけを見ていたという。

ちなみに英語版ウィキペディアのRobert Fullerの項に以下の記述を見つけた。

1961年、フラーは日本で最優秀主演男優賞と皇后陛下より贈られる日本の金勲章を受賞した。フラーはこの賞を受賞した初めてのアメリカ人である。
In 1961, Fuller won the Best Actor Award in Japan and the Japanese Golden Order of Merit, presented by the Empress of Japan. Fuller was the first American ever to earn this award.

註・Golden Order of Merit(金色有功章)は赤十字社から贈られる勲章。日本赤十字社の名誉総裁は歴代の皇后陛下が務められる。フラーは来日時にチャリティーや慰問活動を積極的に行い日本赤十字社に10万ドルを寄付した。(情報・村田育子様)

 この来日ですっかり日本びいきになったフラーは同年9月には、両親をともなって再来日。このときも日本の映画人と交流した他、孤児院を慰問したり、テレビ特番に引っ張り出されてモテモテだったようだ。「お嫁さんにするなら日本女性」などと言っていたが、これはリップサービスか、翌年には女優のパトリシア・リー・ライオンと結婚している(のちに離婚)。
 それはともかく、彼にとって日本での思い出は生涯忘れられないものとなったようだ。1933年生まれの彼は、2024年で91歳を迎える。
 

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