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祝!『安倍晋三回顧録』出版 目からビーム!116 ポチからダチへ

 安倍晋三氏が、関西系のあるテレビ番組にゲスト出演したときのこと。タレントの山口もえ氏とのこんなやりとりが強く印象に残っている。
「総理大臣という責任の重責で眠れない夜もあるかと思いますが」と、問われた安倍氏は、 
「正直、眠れないこともあります。でも、それを眠るのも総理大臣の務めなんですね」
 と答えたのである。名言だと僕は思った。今もその気持ちは変わらない。第二次安倍内閣が発足した直後のこともあって、「ああ、安倍さんはずいぶん逞しくなって帰ってきたんだな、雌伏の時期は決して無駄ではなかったな」と、これも正直な感想だった。
 カイフ・フー? ウノ・ユーノー? そんな首相が長く続いた日本で、戦後初めてといっていい「顔」のある総理大臣が安倍さんだったと思う。世界中の国から寄せられた弔問のメッセージを見ても、それはうなづける。みな、「日本国の首相」である以前に、なによりもSHINZO ABEの死を悼み、功績を讃えたのだ。
 外遊先を列挙してみても、地球を何周しているかわからない。マスコミは、「内政を放ったらかして海外旅行」とか「バラ撒き外交」と好き勝手なことを書いていたけれど、ただ気まぐれに訪問し、援助を約束してきたわけではない。たとえば、歴代首相が素通りしてきた中央アジアを歴訪したのも、中国の一対一路をけん制するすためだし、中東アフリカもそう。インドを巻き込んでのインド包囲網の構築は、彼の最高最大の仕事だったと思う。
 小出裕章なる小人が、「(安倍氏は)弱い国には居丈高になり強い国にはこびへつらう」などと言っていたが、多くの途上国からの哀悼の声は、この男の耳には聞こえないのだろう。そして、安倍氏をもっとも敵視していたのが、GDP世界第2位の軍事大国・中国だったではないか。まさに、強気をくじき弱気を助ける外交だったのである。

増上寺で行われた安倍元首相の告別式で。老若男女、そして外国人。焼香の列は浜松町駅まで続いた。

 シンゾー・ドナルドの関係も、かつてのロン・ヤスとはまったく次元が違う。アメリカ合衆国の大統領に慕われ、助言を求められる日本の首相なんて、今までいただろうか。アメリカのポチだ、と揶揄する向きがあるが、安全保障をアメリカに頼りきっていたのでは、ポチにならざるをえないではないか。対等の友達であるなら、最低限、己の身は己で守る覚悟と力が必要だ。安倍氏はポチからダチへ、悲願である憲法改正を目指し志半ばにして、彼は凶弾に倒れたのである。政府自民党には、その意思を継ぐ姿勢を強く見せてほしい。
 最後にこれだけ言おう。今、世界が抱える喪失感は、JFKのとき以上のはずだ。

初出・八重山日報

(追記)安倍元首相の回顧録がすこぶる面白いらしい。僕はまだ読んでいないが、読んだらぜひ感想を投稿したいと思う。
 それにしても、生前のアベガーはむろんのこと、暗殺後の某漫画家による「でかした」発言といい、ここまでサヨクの怨嗟の対象になった首相もおるまい。「憲法改正」を公約にするということは政治家にとって、それだけ苦難の道だということだ。
 では、一般の国民は安倍元首相のことをどう思っているのか、増上寺での告別式の参列者、国葬儀の際の献花の列がその答えだろう。献花の参加者は政府発表で2万5千人だそうだが、僕の実感ではそんなものではないと思う。武道館周辺の人込みの比較でそれがわかる。コンサートなどで何度も武道館(キャパはアリーナ入れて1万6千人弱)行っていて、帰りの混雑を経験しているが、その数倍は人がいた。
 もちろん、安倍政権のすべてを良しとするわけではない。2度の消費増税は明らかな失策だった。逆にいえば、安倍首相といえども、財務省に抗いきれなかったということだろう。田中真紀子は無能だったが、唯一彼女を評価するのは「外務省は伏魔殿」という言葉を残したことだ。こんなに役所が力をもっている国って、異常だと思う。これを改革解体しないことには、日本は前に進めないことはよくわかった。

 安倍元首相の損失はJFKのそれを上回るという意見に今も変化はない。いずれ歴史がそれを証明するだろう。ケネディに関しては、よそ様の国のリーダーの中では、個人的には好きなほうだが、それにしても、巷間の評価は過大と言えるのではないか。ベトナム戦争泥沼への道を開いたのはハト派の代表のように言われたケネディで、そのベトナム戦争を終わらせたのが、タカ派と言われたニクソンというのも皮肉。女優との「不適切な関係」、マフィアとのつながり、今だったら、どれもアウト案件だろう。若くして凶弾に倒れたということが、彼を神格化しているというなら、それは適菜収のいうところのB層人気ではないか。

(ケネディ兄弟を殺ったのは誰って? あんたと私(悪魔)じゃないですか)

 本稿でも触れた「眠るのも総理大臣の仕事」云々、安倍晋三語録に入れてもいいほどの名言だと今も思う。この答えを引き出した山口もえちゃんもエライ。僕は常々、この人はかしこい人だなと思っている。
 僕は下谷稲荷町の産で、もえちゃんの実家の仏壇屋(翠雲堂)さんとはご近所だったことになる。歳が違い過ぎるので、街ですれ違うということはありませんでしたが、同じ風景を見て育ったわけですね。もしお会いすることがあれば、そんな話もしたいと思います。

もえちゃんて若いころの岸恵子サンに似てませんか。

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