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半島の舞姫・崔承喜の第三回独舞会のプログラム(演目)のちょっと驚きの中身。
崔承喜の第三回独舞会のプログラムである。
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朝鮮舞踊をアレンジした創作舞踊から、アリラン調、巫堂(ムーダン)の舞、仮面劇、追分節、あるいは即興ダンス。「観音菩薩」という仏教テーマの舞は、師匠・石井獏の影響か。そしてなんと、オープニングの「神前の舞」は「宮内省雅楽部多忠朝先生の『浦安の舞』を基礎として新しく試作したもの」。
崔承喜が、能や沖縄舞踊を研究し、慰問で訪問中の北京で梅蘭芳について京劇に京劇を習ったことは知っていたが、雅楽とコラボしていたとは。あらためて、彼女の舞踊芸術の懐の深さがわかる。
多忠朝(おおのただとも)についてはこちを (一般社団法人・神社音楽協会HP)
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彼女は西欧発祥のバレエ(しかもモダンダンス、つまり前衛)から始まり、朝鮮舞踊の発掘期を経て、さまざまな形式の舞を取り入れていった。おそらく彼女の芸術に完成という言葉はなかっただろう。命の炎が燃え尽きる瞬間まで、進化していっただろうのに相違ない。
その彼女の芸術が、ひとつの党、一人の独裁者への捧げものにされてしまったのは、返す返すも残念である。
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