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その名はノーマ・ジーン・ベイカー~モンローを歌った歌手たち

1954年2月1日、マリリン・モンローは夫ジョー・ディマジオとともに信仰旅行で日本へ。ああ、もう70年も前ということか。約1か月をかけて東京、大阪、神戸、広島などを周る。岩国など米軍基地にも立ち寄っているが、この「国防総省」と書かれたパスはそのときのものだろう。

ノーマ・ジーン・ディマジオのサイン。1954年2月8日と読める。

「このカード紛失の際には直ちに報告のこと」
裏面にはマリリンの指紋が。髪ブロンド 目ブルー 血液型UNKはunkwnのこと。宗教はナシ になっている。
途中、軍用機で韓国に飛び、在韓米軍の慰問に。朝鮮戦争は前年、休戦を迎えたばかりだった。左は当時の韓国を代表する女優・崔銀姫。彼女は後年、金正日によって北に拉致される。

 20世紀アメリカ最大のセックスシンボルであり、JFKを筆頭にした華々しいスキャンダルの数々、そして数奇な最期もあいまって、彼女ほど多くの歌の題材になった女優はおるまい。
 まずは、やはりこの曲―。

 ダイアナ妃が亡くなったあと、歌詞を一部かえて「Candle In The Wind1997」として再レコーディングしたのは有名な話。

 ジェーン・バーキン。作詞作曲はむろん、セルジュ・ゲーンスブール。

 右手に受話器を握っていた(歌詞) そう、その姿で、ベッドでこと切れていたという。スマホではちょっと絵にならんか。

松本隆作詞・小室哲哉作曲 明菜の曲の中では特別にいい曲とは思わぬが(ファンの人ごめん)。


 実は来日中、どこへ行っても「モンローの亭主」扱いで、ディマジオはブチ切れ気味だったらしい。子供がモンローにサインをねだって差し出した手帳を払いのけたことも。結局、二人の結婚は1年ももとなかった。
ディマジオはかなり自意識の高い人らしく、サイモン&ガーファンクルのヒット曲『ミセス・ロビンソン』の一説「ジョー・ディマジオはどこへ行った?」にも食ってかかった。「どこへ行ったって?インスタントコーヒーのCMに出ているだろ」。あわやポール・サイモンはディマジオに訴えられるところだった。実は、ヒーロー不在の時代を嘆くみごとな一節なのだが。
 1999年3月、ディマジオは84歳で永眠。ヤンキースタジアムで行われた追悼セレモニーで、サイモンはこの曲を偉大な故人に捧げた。


(おまけ)
1962年5月のJFKの誕生日に、へべれけに酔っぱらい遅刻してきたモンローが『ハッピー・バースディ』を歌う有名な映像。このとき、司会者がLate Marilyn Monroeと紹介しているのに注目。「遅れてきたマリリン・モンロー」と言ったつもりだろうが、故マリリン・モンローとも聞こえる。マリリンが亡くなるのは、この3か月後である。


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