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変態さんよありがとう⑤~ラバリストHさん

『シン・ウルトラマン』を観た。完全CGによって令和の世に蘇ったウルトラマン。あの銀色に鈍く光る皺ひとつない皮膚の感じ、ラバー・フェチにはたまらないだろうなと思った。そして、福岡ラバリストのH氏のことをなつかしく思い出していた。
 H氏はラバーのオーソリティである。趣味が高じ、全国のマニアのために本場イギリスのラバー・ウェアのショップと提携し、フルオーダー、セミオーダーを受注するラバリストという通販ショップを立ち上げるまでにいたった。ちなみにH氏はかなりの資産家で、ラバリストでの活動に関していえば、あくまで趣味の延長であり、儲けは考えていないとのこと。発送やその他の手間暇を考えれば、むしろ赤字かもしれない。
 90年代あたりから、ビザールファッション・ブームに乗って、ラバー・ウェアを置くポルノショップなどが目につくようになったが、H氏によれば、高額な値段設定のわりには、ラバー製品の扱い方を熟知しているショップはほとんどないという。彼がラバリストを立ち上げた理由もそこにある。また、ただ販売するのではなく、購入者へのレクチャーも忘れない。
「初心者の人は特にそうですけどね。ラバーに関してはできるだけ薄く、完全に皮膚と一体化するほどの密着感を求めがちです。でも実際のラバー・ウェアは多少の余裕、たるみは必要なんですわ。でないと着用後に破れてしまいますから」

シン・ウルトラマンの背中。まさに。

 ならば、CGウルトラマンの皮膚の一体感は、まさにラバー・フェチの理想形といえるのだろうか。実際は、初代ウルトラマンのスーツのような微妙な皺やたるみは不可欠のようだ。
「お客さんのリクエストにはなるべく応えたいですけどね。いろいろデザイン的なものでゴテゴテと注文つけてくる人がいますよ。まずはラバーの特質を知ってほしい。だから、とりあえず、プレーンのキャットスーツを一着オーダーされてみてはいかがですか、というんですけど、中には二重取りで商売する気かと怒り出す人もいる」
 そう話している間に、事務所の電話がなる。クライアントである。H氏は丁寧に対応し、「それはよした方がいいですよ」と説明し、電話を切った。相手が納得したかは不明だ。
「キャットスーツにポケットを付けて、ポケットの内側はゴム手袋にしたいというんですよ。要はラバーを着用しながらオナニーをしたいということなのでしょう。でも、ポケットなんかつければ、その部分が脆くなりますからね」。
 H氏の稼業についてはとりあえず秘すが、市の一等地に自宅兼社屋の6階建てのビルをもつ社長であるとだけ記しておこう。ラバリストの事務所は4階の社長室の一角にあって、ファックスとメールで注文を受け付けていた。社長室といっても、実際はH氏のホビーの部屋だ。床にはバイクのアクセサリーが置いてあり、高価なオーディオ機器が壁を占領し、オープンリールのレコーダーからはモーツアルトの『魔笛』がゆったりと流れていた。
 その晩はH氏のご厚意で、『ビザールマガジン』(司書房)の編集兼カメラマンの柿木君とご自宅に泊めていただくことになった。H氏によれば、全国からラバー愛好家が訪れ、朝まで飲み明かすことも多いのだという。愛好家何人かで連れだって、川遊びをしている写真も見せられた。全員がキャットスーツに全頭マスクである。素肌の上にラバーを身に着けると皮膚感覚が鋭敏になり、水の冷たさがとても心地よいのだそうだ。
 自宅スペースを案内してもらったが、お金持ちとはこういうものか、と大いに感心したものだ。ビルの3階は、H氏がご両親のために作ったという能舞台があった。年に何回か、能楽師を呼んでここで演じてもらうのである。5階から上が居住エリアということになる。まず出迎えてくれたのは、玄関に誇らしげに飾ってあった、小学校4年生の娘さんのヴァイオリンコンクール入賞の写真パネルだった。
「アマティです。なりが小ぶりなので、娘にはサイズ的にいい感じなんですよ」。
 さらりと言ってくれるものだ。クラシック音楽に疎い僕だって、ストラディバリの師匠ニコロ・アマティの名前ぐらいは知っている。ヴァイオリン1丁で家の1軒や2軒軽く買える値段だろう。
 そんなお金もちのH氏だが、人柄はぐっと庶民的で気さくでほっとした。奥さんの手料理に舌鼓を打ちながら、焼酎が進むうちに口も滑らかになる。
 H氏がラバー・フェチになるきっかけ、原風景もぐっと庶民的(?)なのである。
「子供のころ、僕らがよく泳ぎに行っていた穴場の海岸があるんです。その海岸って切りだった小さな崖の下にあってね。崖の上で牡蠣の殻むきの作業をしているんですよ、黒いテカテカの胸まである胴付きゴム長を着たおばちゃんたちが。ある日、おばちゃんの一人が、下で僕らが泳いでいることに気がつかないで、胴付きゴム長を半分脱いで、白い尻をこっちに向けて立小便ですわ。あの光景が強烈だったね」
 そのせいか、H氏は、「ラバー」というよりも「ゴム」という語感と響きになんともいえぬ愛着があるという。漢字で書けば、「護謨」である。そういえば、梶山季之が小説の中で、「パンティという言葉よりもズロースという言葉に興奮を覚える世代がいる」と書いているのを思い出す。こういう言葉の感覚はマニアにとって重要だろう。おむつマニアは決しておしめマニアではない。
 H氏は、いわゆるラバー・ウェアの他に、胴付きゴム長のコレクターでもあった。なんでも、胴付きゴム長は日本オリジナルのもので、海外で見るものはすべて日本からの輸入だという。

胴付きゴム長。魚市場から釣り、雪かきまで。

 もうひとつ、彼を甘美なゴムの世界へといざなった貴重な(?)体験がある。
「大学生のとき、派手なバイク事故を起こしたんですよ。腰を強打し、両足を複雑骨折してね。気が付いたら病院のギブスベッドに固定されていました。ギブスベッドってどういうものかというとね、石膏でできた、真ん中が人型に凹んでいる、その凹んだ部分がゴム引きなんですよ。動くことはできないから、看護婦さんにシモの世話になって。あるいはゴムの中に垂れ流し。……そういう暮らしを半年してごらんなさい。おかしくもなりますよ(笑)」。
 「事故のおかげで、僕は今でも足の長さは左右で違うんですよ。だからこそ、ラバーウェアもオーダーメイドにこだわるんです。ひとり一人、体形って微妙に異なるわけだから」

 20代後半のある年、ふらり気ままな欧州の旅に出たH氏は、ロンドンのソーホーの、ふと立ち寄った書店で運命的な出会いをする。『ATOMAGE』(アトマージュ)と題したその雑誌をめくると、ラバーやレザー、PVC(エナメル)製のタイトでフェティッシュなファッションに身を包んだ男女の写真が次から次へと目に飛び込んでくる。
「世の中にこんな雑誌があるのかと頭をぶちぬかれた思いがしました。日本じゃ考えられないことだったから。さっそく買って、そこにある編集部の住所を訪ねていったんです」

ATOMAGE

 出迎えてくれたのは、ジョン・サトクリフという初老の紳士で、彼が『ATOMAGE』 誌の編集長兼カメラマン、そしてすべての衣裳のデザイナーであるという。英仏合作映画『あの胸にもう一度』(68)の、マリアンヌ・フェイスフルの素肌にまとう黒革のジャンプスーツをデザインしたのも彼だとわかった。
『ATOMAGE』誌は1962年にフェティッシュ・ファッションのカタログ誌として誕生、1970年代に通常のグラフ誌形態になった。ATOM AGE(原子時代)とは、「最先端の」、「未来的な」程度の意味合いをもつ。セパレートの水着のビキニがビキニ環礁の水爆実験の衝撃からネーミングされたのと同じく、ATOMという言葉は長く、「超イケてるモノ」の代名詞だった。ラバーは原子時代の第2の皮膚(スキン・トゥー)なのである。
 

ジョン・サトクリフ
『あの胸にもう一度』のマリアンヌ・フェイスフルとアラン・ドロン。革のジャンプ・スーツの下が素肌というのは衝撃的だった。激しい濡れ場は、当時マリアンヌの恋人だったミック・ジャガーを大いに嫉妬させたという。この映画のマリアンヌは峰不二子のイメージの原型となったことでも知られる。

「雨の多いロンドンでの生活では、マッキントシュのゴム引きのレインコートが欠かせないんですよ。デザインもカラーも豊富でね。ラバー・ファッションに関して、イギリスは1日どころか10年の長があるわけです。サトクリフと出会った、そのときの興奮というのはね…私はもてる英語力の限りをつくして彼と話し、彼もひとつひとつ丁寧に教えてくれました」。
 ジョン・サトクリフの名を知るマニアも多いが、実際に会い薫陶を受けた日本人はH氏だけだという。氏から、サトクリフからの貴重な手紙の束を見せてもらった。そのジョン・サトクリフも1987年に没している。

マッキントッシュのラバー・レインコート。実用向きでありながらファッション性にも考慮されている。蒸し暑い日本の梅雨時には不向きか。

「夜明けの散歩も楽しいですよ。行きませんか」
 酔いが回ったところで、H氏からそんな提案があった。散歩とはラバーを着て外気にあたりに行こうという意味である。H氏はシャツとズボンを脱ぎブリーフ一丁になると体中にパウダーを振りかけた。滑りをよくするためだ。キチキチと音を立てながら器用にブルーのキャットスーツを身に着けていく。その上から黒い胴付きゴム長を着て、顔にはスーツと同色の全頭マスクをすっぽり被る。僕も促されるままに、胴付きゴム長とゴムの長手袋という姿になった。姿見の中に見た自分の姿がまるでペンギンだった。
 近くの公園で飲み直そうという。夜明けといっても晩秋である、東の空がようやく白々としてきたような塩梅で、足元はまだ暗い。途中、公園のそうじのおばちゃんとすれ違う。ゴムの全頭マスクとペンギン男との遭遇に、おばちゃんは一瞬ぎょっとした表情を見せたが、H氏の屈託ない「おはようございます」に、戸惑いながらも「おはようございます」で応えてくれた。
「変態は変態。変質者とは違うんですから。別に卑下する必要もないし、威張る必要もないじゃないですか」
 実にH氏らしい言葉だと思う。あくまで自然体なのだ。庶民派の変態とはそういう意味でもある。自分の性癖についてあれこれ理屈をつけたがる人や、あるいは照れ隠しのためか「お前らにわかるか」的な態度をしてくる人ははっきり言って苦手だ。

夜明けを待つ公園で乾杯するH氏と但馬(右)。僕も同付きゴム長を着せてもらった。うちにはスキャナーがないので、写真を写メしたが、コーティング仕様だったために、どうしても写りこみがあります。白い粉雪のようなものは、写真に付着した埃ですw ご容赦を。

 公園のあずまやで再び乾杯としゃれこんだ。
「昔はよく、ゴムの氷嚢に焼酎をつめてね、それを飲んだりしたんですよ。ちょうどいい感じでゴムの香りがついてね」
 一瞬、紙コップをもった手が止まったが、想像するとちょっと可笑しかった。根っからゴムが好きな人なのだ。
 初めて訪れた福岡。その朝の風は頬に柔らかかった。


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